2023年12月3日
説教題「キリストについてのあかし」
聖書箇所 Ⅰコリント1:3~9
1:3 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:4 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
1:5 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
1:6 それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、
1:7 その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。
1:8 主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。
1:9 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。
おはようございます。
今日から待降節(アドベント)です。キリスト教会にとっては新年のようなもの。ここから新しい一年が始まります。
今日からのアドベントは、私達の救い主イエス・キリスト様のご降誕、 誕生を待ち望むときです。
今日の礼拝で4本のろうそくが立てられ、毎週日曜日に一本ずつ点灯したろうそくが増えていきます。
4本のろうそくが点灯する日が、今年は12月24日(日)クリスマス特別礼拝の時です。大体そうなるのですが・・・昨年は12月25日が日曜日でしたので、アドベントの始まりはクリスマスの4週前で11月27日から始まりましたので。ろうそく4本が12月18日に全部点灯してしまい。
12月25日のクリスマスには新しい大きなろうそくを一本付けるという形になりました。特別な時でした。
ちなみに12月25日が日曜日になりますと、25日がクリスマス特別礼拝。その次の日曜日は1月1日になります。
1月1日には新年礼拝ということで教会の飾り付けも変わるし・・・・な
んか慌ただしい時の流れでした。
今年は12月24日がクリスマス特別礼拝。12月31日の日曜日が2023年最後の礼拝になります。
その日には一年の感謝礼拝を行います。
予定では一年の私達の堺育麦キリスト教会の歩みを振り返り、写真などもスクリーンに映しながら、2023年の一年の感謝をささげたいと願っています。
12月31日(おおみそか)と皆様お忙しい中と思いますが。
神様に感謝をささげながら一年を締めくくりたいと考えています。
そして次の日。1月1日は、新年礼拝は、主日礼拝と近いので行いません。
1月7日に新年礼拝を行い。その時に2024年の堺育麦キリスト教会の目標聖句を発表し、そこから説教を行います。神様の言葉を聞きながら一年を始めたいと願っています。
私は、12月は、一年の週報、出来事などを振り返り、会計も含めて一年のまとめ、総会資料の作成。一年の感謝礼拝の準備、来年の目標聖句を祈りつつ神様から教えて頂きます。
そして何より大切な、これは皆様も同じでお祈りしていると思いますが、私達の周りの愛する方々に、福音をお伝えしやすい時。クリスマス特別礼拝のお誘いがあります。
日頃は教会に来ることもない方も、クリスマスには教会に行ってみようかと考えている方もおられます。またクリスマスに私の信じる神様を知って欲しいと願ってお誘いをしたと思います。
私は、一回のイベントで人が救われるとは思いません。日頃の交わり、神様との関わりの中で人は変えられていくと考えていますから
クリスマスが特別ではないと思いますが・・・・・クリスマスは一般の方々にとっても特別な時です。この機会は是非活かしたいと祈っています。派手なチラシではないですが、クリスマス特別礼拝のお誘いというチラシを作りましたので、是非ご活用下さい。
と言うわけで牧師も忙しい・・・まさに師走 牧師も走るときであります。
皆様もお忙しい月になると思いますが、皆様のお体が守られて良き一年の最後の月となりますようにお祈りします。
でも一年って本当に早いですね。
若いうちは一年が長い。5才ならば一年は人生の1/5 25% 10才ならば1/10 70歳になれば一年は1/70 1.4%です。年を
取ってくると一年一年があっという間です。
でもゆっくり振り返ってみれば2023年もいろんなことがあり、恵みがありました。
そんなことを振り返ってまとめる仕事はある意味楽しい、意義深い、感謝なことです。
さて本日の聖書日課です。今日は珍しく福音書ではなく使徒書 コリント人への手紙第一からです。待降節からはマタイの福音書からは離れます。
コリントの信徒たちへのパウロからの手紙です。
まずは挨拶の言葉です。
Ⅰコリ
1:1 神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、
1:2 コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。
パウロがコリント人への手紙を何通か書いていることは事実です。その中の2通が聖書になっています。パウロの1年半の伝道によって誕生したコリント教会は様々な問題を抱えていました。コリントの町は、私は大阪に似ているような気がしています。非常に経済の発達した町。文化的というよりは雑多な文化が混じって、ごったな感じ。偶像礼拝、不品行、分裂なども教会の中でありました。
キリストの信徒たちとは言え、この世で暮らす中で問題だらけ・・・
それでも彼らはイエス様を信じ、世にあって奮闘していたのです。教会の中の不一致、分裂といった事、偶像礼拝、不品行、結婚の問題。献金の問題・・・いろんなことに対してパウロに意見を聞く人々があり、パウロもコリントの教会を心配し、祈り、手紙を書きました。それがコリント人への手紙です。
確かに問題の多い教会ですが・・・・パウロはそのあいさつで彼らの事を聖徒と呼んでいます。これはお世辞ではなくまさに聖徒であるとの確信からの誉め言葉です。
いろんな問題があってもキリストにある信徒たちはまさに聖徒なのです。
私たちにも主は聖徒と呼んでくださるのです。
1:1 神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウ
ロと、兄弟ソステネから、
1:2 コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。
そして今日の聖書日課
パウロはコリントの人たちに
1:4 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
1:5 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
1:6 それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、
と言っています。これを聖書として私はイエス様が私たちについて語っている言葉と読ませていただきました。
① あなた方の事を感謝しています。
② あなた方はキリストにあって豊かなものとされた。
③ キリストについての証しが確かになった。
あなた方は感謝に値するものとなっている。神様にこの人たちは、いろいろ問題はあるけれど、神様に感謝しています。
私たちを考えると感謝されるにふさわしいかと考えると恥ずかしいようなものですけれど「あなたがいてくれてよかった!!」とイエス様は言われるのです。
しかもあなたは豊かなものとされていると言われます。それはもともとの素質ではなくキリストにあって豊かなものとされたのです。
1:5 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
クリスチャンになる前は何者でもなかったのに・・・キリストにあってことばといい、知識といい、すべてにおいて豊かなものとされたのです。
キリストにあるとき私たちは変えられていくのです。そんなに劇的ではなかっても、少しづつ変えられていくんでしょう。コリントの人たちにさえこのような誉め言葉が語られていることに。私も希望が湧いてきま
した。
そしてそのキリストについてのあなたのあかしが確かになるのです。
自分のあかしなんか、なかなか実らないけどなあ・・・と思うものですが
あなたがキリストにあって生きていく時。主があなたを確かなものとしてくださるのです。
その結果です。
1:7 その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。
1:8 主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。
1:9 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。
その結果私たちはどんな賜物にも欠けることがなく・・・・そんなことあるかな。。。
熱心にキリストの現れを待っています。確かに待っています。
主も主イエスの再臨の日に責められるところのないものとして(責められるところばっかりの気がしますが・・・主の恵みによって)最後まで堅く保ってくださいます。イエス様の守りがあるんです。
1:9 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。
この約束を覚えて感謝します。
このみ言葉を黙想しながら、先週は午後、尼崎市にある園田伝道所に説教奉仕に出かけました。その恵みを証ししたいと思います。この伝道所は、御影ルーテル教会の信徒の久松さんというご夫妻から始まりました。
久松さんという方はフェローシップ・ディコンリー福音教団の初期の頃の方。太田頌子さん、太田秀さん、吉村先生、太田多聞先生、エミコさんなど母の家ベテル、石屋川ルーテル教会の礎のような方です。私たちの教会に目標聖句のしおりをきれいな押し花で毎年作ってくれていました。私の牧師就任式の写真にも載っていました。堺育麦キリスト教会のためにもずっと祈っていてくれたお方です。何かにつけて育麦のためにも助けをしてくださっていました。ご主人が5年前に召されました。
なかなかお会いすることはないのですが、太田頌子姉の古くからの友人
でもあり、育麦の事は心にとめて祈ってくださっていました。
そんなことで先日10月22日御影ルーテル教会の講壇交換で出かけたときはお会いできるかと思っていましたが。
その日は園田伝道所の礼拝が午後からあり。二つに出る体力はもうないという事でお会いできませんでした。その後豊島先生の説教も聞きたかった…園田伝道所にも来てもらえませんでしょうか?という要望が橘内先生を通してありましたので。私は、いつかは一度お伺いしたいと願っていましたので、快諾
先週の午後行くことになりました。
お友達の頌子姉と一緒に行きました。
初めてのところで道を間違ってしまったりするかもしれないので。アドベントの用意もみなさんにお任せして早めに出ました。早めに出たので相当早く着きました。(本当に早く、準備をしている久松さんにとっては迷惑なことだと思います。でも娘さんが準備を使、久松さんはぺたりと座られて交われました。
久松さんが喜んでくださり、いろんな話をする時間が取れました。また教団の初期の頃のビデオも見せてもらって・・・教会が若い力でどんどんと成長するところも見ました。教会に人がいっぱい集まっている。
なんか時代のパワーを見ました。
戦後、キリスト教が盛んになった時代のパワーを8mmの映像越しに見ました。
これを現代に生かしていきたいと祈らされました。今は人々が信仰というものに覚めているというか、警戒感を持っている・・・そんな時代です。
園田伝道所の礼拝は、御影の礼拝のプログラムを使って、同じように礼拝していました。
ご近所の方々が集まって厳かに行われました。
皆さんが礼拝を大切にしておられる様子がわかりました。
その後の交わりで、皆さんが自己紹介をしてくれました。住宅街の細い道ですが、来られた方々はお向かいさんとか、斜め前 3軒向こうとか・・・本当にご近所の方々でびっくり
この地域は創価学会も多いけど、この路地はクリスチャンばっかりなのよ…といわれてびっくり
私は初めて久松さんのお宅に行ったのです。
久松さんは穏やかな方ですが、上品で・・・なんとなく私が持っている尼崎のイメージとは違う。そして信仰の人です。
礼拝の後、話を聞く機会があり、救われたときのあかし、結婚の話などを伺いました。ご主人の啓作さんとクリスチャンホームを築き、おうちを開放して毎週家庭集会を始めたそうです。
それがなんと2019年で50年になったそうです。その感謝状を見せていただきました。
聖書の事もよくわからないままにご夫妻で家庭集会を初め・・・・忠実に・・・・・。時がよくても悪くても
キリストにあって生きて・・・・・
人が何を信じ、どう生きるかというのは近くの人が良く見ています。
裏表はご近所では通用しません。
そんな中でお近くの方がたくさん集い・・・救われていく。
この家庭集会から30人以上の方が洗礼を受け
今もクリスチャンとして歩んでいます。
これってすごい事です。
私は初めて見ました。
近所の人が救われていくなんて・・・・これはすごい事です。
感謝状の文章がまさにご夫妻の信仰を現していました。
神のなさることは、すべて時にかなって美しいい
久松喜代子さま
あなたは時がよくても悪くても、忠実に主に仕え、啓作さまと共に、多くの方々の助けを受けながら、家庭集会を50年の間 続けてこられました。このことに敬意を表し、また園田の伝道に尽くされたことに感謝して、感謝状を贈呈いたします。主がますますこの家庭集会を祝福してくださいますようにお祈り申し上げます。
祝 家庭集会50周年
2019年3月31日 御影ルーテル教会
若い二人が祈りながらこの家庭集会を行ってきた。
私は今回一番びっくりしたのは。まことに失礼な話ですが
久松さんは上品だし、信仰深いし きっと大きなおうちでお金持ちなんだろう。だからおうちを開放して家庭集会をできるんだろうと・・・・と漠然と思っていたんです。
今回、初めて行って驚きました。普通のおうちでした。家庭集会は普通の居間でした。何も気を遣わないような気さくな場所でした。
このような場所でされてこられたんだ・・・・・。
何か立派なものがあってされてこられたんではないんだ。
あるものでされてきたんだ
それも50年以上の長きにわたって
どんなに口でうまくイエス様の愛を語っても日常の生活が見えてしまう。ご近所の方々への伝道をされて来た。
私は感動してしまいました。
ご夫妻の信仰。それも少しも偉そうではない。謙遜で、柔和な方です。
久松さんと太田頌子さんは似ています。頌子さんもご主人の秀さんと一緒に家庭集会をされていました。
お二人が話している姿
「若い時に、あの時キリストを信じてよかったなあと思います。信じていなかったら私の今は、今の喜びはなかった。永遠のいのちの希望も与えられて本当に良かった」というような話をされているとき。
私が説教で黙想していた箇所 今日のみ言葉が、ここに成就しておられるなあと思ったのです。
1:4 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
1:5 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
1:6 それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、
まさに久松さんご夫妻の中に、キリストのあかしが確かになっている姿を見ました。キリストにあって言葉といい、知識といい、すべてにおいてキリストあって豊かなものとされたのです。そんな姿を拝見できました。
久松さんにも足りないところもあるでしょうし、問題もあるでしょう。
でもキリストにあって豊かなものとされたお姿を見ました。
ここにいる聖徒の皆様も(聖徒ですよ) なんか聖徒と言われれば恥ずかしいような気もしますが。
聖徒なんですよ。
1:3 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:4 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
イエス様からあなたがいてくれてよかった。と言われているのです。
祈り