2023年9月10日

説教題「」

聖書箇所 マタイ18:15~20

18:15 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。

18:16 もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。

18:17 それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。

18:18 まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。

18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

おはようございます。

今日の説教はいつもと違ってたった一節が中心です。この言葉がズシンと響いてきて・・・・。その重みが響いてきて・・・・。これは難しい・・・でもこれは大切なことだ・・・と考え込んでしまったのです。

今日は聖書日課の中から18:15の1節に特にこだわって考えていきます。

18:15 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。

あなたの兄弟、あなたの友達、あなたの愛する人が罪を犯していたら・・・どうすればいいか・・・・

これは深い話です。そして私たちの周りにもよくある話であります。その時あなたは、その人のために心を痛めながらどうすればいいのか?

言っても聞かないから・・・ほったらかしておくのか。

無視するのか・・・その人の罪を隠す方(隠ぺいする方)に回るのか・・・・誰かに密告するのか・・・警察に言うのか・・・自分の周りに言い回るのか。悪口として言いふらすのか・・・・

聖書はどういっているか。

あなたは行って二人だけのところで責めなさいと言われます。

周りに言うのではなく、まず、二人だけのところで、その人の犯している罪を責めなさい。あなたは間違っていると。それは罪だよ。あなたは正しくない。と責めなさい。と言われます。

これが聖書の勧めです。

あなたの兄弟が罪を犯しているのをあなたが知ったら・・・二人だけのところで責めなさい。

もう一人の立場に立って考えてみましょう。

罪を犯している立場のものです。

私、思うんですが…罪を犯している人・・・この人は自分の罪に気が付いているんじゃあないでしょうか。自分は悪いことをしているという自覚はある。

でも罪を犯しています。罪というのは大麻みたいな麻薬みたいな部分がある。悪い事とわかっていても辞められない。人間の弱さが現れているのです。

でもその罪の中でマヒしていく。いつの間にか普通になっていく。どんどん罪がエスカレートしていく。誰も止めてくれない…見て見ぬふり・・・。自分ではやめられない・・・誰か止めてくれ!!と思う人もいるそうです。

そんなことを考えながら

18:15 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。

を黙想する中で、ダビデの罪の事が示されました。今日はダビデとナタンこの二人の事を、今日のみ言葉の例話として考えていきたいと思います。

第二サムエル11章からの出来事です。

ダビデは有名なダビデ王。詩編もたくさん書いた、イスラエルの偉大な王様です。イエス・キリストはダビデの子と呼ばれているほどです。そのダビデ、羊飼いの少年から苦労をしまして、神様の恵みの中で取り立てられ、イスラエルの最初の王であるサウルの側近となります。戦争に行けば連戦連勝。王様のサウル王のねたみを買うことになり、サウル王からいのちを狙われます。

その中でも神様の守りと祝福の中でダビデは強くあり、やがてサウル王が死んだ後にイスラエルの王となります。

王となってもまだまだ近隣諸国との戦いは続きます。イスラエルの国はその戦いに勝利しながら王国が完成しようという頃です。

ダビデ王の人気はすごく、誰もダビデに逆らえる人はいません。神様の守りの中で大いなる祝福の中、成功の中にいました。

11:1 年が改まり、王たちが出陣するころ、ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍とを戦いに出した。彼らはアモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。

ダビデ王は、いつもは戦いの先頭に立っていましたが・・もう自分が行かなくても大丈夫、と、将軍ヨアブに任せるんです。

人間、成功をしてくるとそこに気のゆるみがあり、誘惑があるのかもしれません。

彼は戦いに行かずに、夕方まで寝ていて、寝床から起き上がる・・だらけた生活リズムになっていました。屋上から外を見るときれいな女の人が行水をしている姿が見えました。ダビデはその女の人を見て、欲望が燃え上がり・・・・王様の権威をもって、その女の人(彼女は旦那さんがいる人です)を召し入れて、関係を持つのです。これはまず大きな罪です。

そしてこの女の人バテ・シェバは身ごもるのです。

Ⅱサム

11:2 ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。

11:3 ダビデは人をやって、その女について調べたところ、「あれはヘテ人ウリヤの妻で、エリアムの娘バテ・シェバではありませんか」との報告を受けた。

11:4 ダビデは使いの者をやって、その女を召し入れた。女が彼のところに来たので、彼はその女と寝た。──その女は月のものの汚れをきよ

めていた──それから女は自分の家へ帰った。

11:5 女はみごもったので、ダビデに人をやって、告げて言った。「私はみごもりました。」

ダビデは焦ります。人の奥さんを姦淫した。それも王の権威を使って。王様のすることは、家来たちは見てみぬふり・・・誰も止めることはできません。それほどすでにダビデは王として大きな力を持っていました。逆らったら、自分のいのちが危うい・・・このことはうすうす知っている人があったとしても秘密にされていました。

今回、この説教を準備する中で、ジャニー喜多川氏の事を考えました。多くの共通点があります。ジャニー氏は優秀なプロデューサーでした。ジャニーズ事務所をここまで大きくした。まさに天才と言ってもいい人です。その実力は誰もが認めます。

しかし彼は少年たちに性加害を与える大きな罪を行っていました。誰も止める者はなく、逆らったら自分の身が危ない、仕事を干される、デビューさせてもらえない。という恐れもあり・・・うすうす知っていながら放置したのです。みんなが・・・・大きなマスコミもみんな含めてです。

さてダビデはバテ・シェバが身ごもったことに対して、これを隠蔽しようとしてまた罪を重ねます。

ダビデは、まずバテ・シェバの旦那さんウリヤを戦争から引き戻し、彼を家に帰らせ、バテ・シェバと過ごさせ、それで子供ができたことにしようとします。

このウリヤという人はダビデの30勇士の中にも数えられる立派な兵士でした。ウリヤに休暇を与えて家に帰らせようとします。

Ⅱサム

11:6 ダビデはヨアブのところに人をやって、「ヘテ人ウリヤを私のところに送れ」と言わせた。それでヨアブはウリヤをダビデのところに送った。

11:7 ウリヤが彼のところに入って来ると、ダビデは、ヨアブは無事でいるか、兵士たちも変わりないか、戦いもうまくいっているか、と尋ねた。

11:8 それからダビデはウリヤに言った。「家に帰って、あなたの足を洗いなさい。」ウリヤが王宮から出て行くと、王からの贈り物が彼のあとに続いた。

11:9 しかしウリヤは、王宮の門のあたりで、自分の主君の家来たちみなといっしょに眠り、自分の家には帰らなかった。

11:10 ダビデは、ウリヤが自分の家には帰らなかった、という知らせを聞いて、ウリヤに言った。「あなたは遠征して来たのではないか。なぜ、自分の家に帰らなかったのか。」

11:11 ウリヤはダビデに言った。「神の箱も、イスラエルも、ユダも仮庵に住み、私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。それなのに、私だけが家に帰り、飲み食いして、妻と寝ることができましょうか。あなたの前に、あなたのたましいの前に誓います。私は決してそのようなことをいたしません。」

11:12 ダビデはウリヤに言った。「では、きょうもここにとどまるがよい。あすになったらあなたを送り出そう。」それでウリヤはその日と翌日エルサレムにとどまることになった。

11:13 ダビデは彼を招いて、自分の前で食べたり飲んだりさせ、彼を酔わせた。夕方、ウリヤは出て行って、自分の主君の家来たちといっしょに自分の寝床で寝た。そして自分の家には行かなかった。

ウリヤはまじめな人です。誠実な人です。仲間が戦場でいて戦っている。苦労しているのに自分だけがぬくぬくと家には帰れません。と言い。

ダビデが困って酒を飲ませても家には帰らなかったのです。

ダビデはここでさらに大きな罪を犯します。ダビデは将軍ヨアブに手紙をもたせ、このウリヤを戦場で危険なところに出し、死なせるようにするのです。ダビデの間接的な殺人です。将軍ヨアブはこの手紙の背景にあるダビデの陰謀を忖度し、ウリヤを戦場の前面に出し、ウリヤは死ぬのです。

Ⅱサム

11:14 朝になって、ダビデはヨアブに手紙を書き、ウリヤに持たせた。

11:15 その手紙にはこう書かれてあった。「ウリヤを激戦の真っ正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ。」

ウリヤが死んだ後、ダビデはバテ・シェバを王宮にむかえいれるのです。

Ⅱサム

11:26 ウリヤの妻は、夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のためにいたみ悲しんだ。

11:27 喪が明けると、ダビデは人をやり、彼女を自分の家に迎え入れた。

彼女は彼の妻となり、男の子を産んだ。しかし、ダビデの行ったことは【主】のみこころをそこなった。

こんなことがあり、ダビデはバテ・シェバと生活しています。誰もこの罪に関しては知らんふりです。

しかしこれは大きな罪です。

ここで今日の聖書日課の言葉が示されます。

18:15 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。

だれもダビデの罪を責めない。あまりのダビデの力の大きさに忖度している。これって現代でもたくさんあります。ジャニー喜多川氏の事もそうですが、安部元総理の森友事件なども忖度が横行しました。私たちの周りにでも小さな形でこのようなことはたびたびあります。あなたの兄弟が罪を犯したなら・・・・こんなことは多いと考えます。

誰も指摘しない・・・これは罪がさらに大きくなっていく・・隠していく・・これも大きな罪を生む。あの信仰深いと考えられたダビデでも罪を犯すことがあるのです。そしてそれは罪が罪を生むという恐ろしいことになりました。この時点で誰かが罪を責めたら・・そしてダビデがその罪の指摘を認め悔い改めたならばそこに大きな祝福があるのです。今話題になっている、ジャニー喜多川氏について、もっと早くに、誰も罪を責める者はいなかったのか・・・・もしいたとしてもジャニー氏が悔い改めなかったことは大きな罪の連鎖を生みました。

ダビデもこのままでは神様の祝福も消えてしまいます。

ここで預言者ナタンが立ち上がりました。神の言葉を預かる預言者ナタンです。預言者といえども人間です。いまダビデ王を責めるならば自分のいのちが危ないかもしれません。多分危ないでしょう。それでもナタンは王の前にでるのです。

Ⅱサム

12:1 【主】がナタンをダビデのところに遣わされたので、彼はダビデのところに来て言った。「ある町にふたりの人がいました。ひとりは富んでいる人、ひとりは貧しい人でした。

12:2 富んでいる人には、非常に多くの羊と牛の群れがいますが、

12:3 貧しい人は、自分で買って来て育てた一頭の小さな雌の子羊のほかは、何も持っていませんでした。子羊は彼とその子どもたちといっしょに暮らし、彼と同じ食物を食べ、同じ杯から飲み、彼のふところでや

すみ、まるで彼の娘のようでした。

12:4 あるとき、富んでいる人のところにひとりの旅人が来ました。彼は自分のところに来た旅人のために自分の羊や牛の群れから取って調理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を取り上げて、自分のところに来た人のために調理しました。」

12:5 すると、ダビデは、その男に対して激しい怒りを燃やし、ナタンに言った。「【主】は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。

12:6 その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして償わなければならない。」

12:7 ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、【主】はこう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、サウルの手からあなたを救い出した。

12:8 さらに、あなたの主人の家を与え、あなたの主人の妻たちをあなたのふところに渡し、イスラエルとユダの家も与えた。それでも少ないというのなら、わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。

12:9 それなのに、どうしてあなたは【主】のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行ったのか。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。

12:10 今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。』

12:11 【主】はこう仰せられる。『聞け。わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。あなたの妻たちをあなたの目の前で取り上げ、あなたの友に与えよう。その人は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。

12:12 あなたは隠れて、それをしたが、わたしはイスラエル全部の前で、太陽の前で、このことを行おう。』」

12:13 ダビデはナタンに言った。「私は【主】に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「【主】もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。

12:14 しかし、あなたはこのことによって、【主】の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」

ここでダビデ王と預言者ナタンの事は一つの区切りとなります。

ここで教えられることは

① 人は成功の中で油断する。罪を犯してしまう。夫婦だって貧しいころは仲良く、頑張っていても成功するとおかしくなるという事はある。

② 罪はエスカレートしていく。自分の大事な勇士ウリヤさえも殺してしまう。

③ 豊臣秀吉も天下を取った後、側室をいっぱい作って、家来の奥さんも側室にして、その家来は殺されたという話もあります。宣教師の言葉では豊臣秀吉は側室が300人いたと言われます。

④ 正しくないことでも、もう誰も言えなくなってします。本人の力が大きくなって、周りが忖度して・・・誰も罪を指摘してくれない。

⑤ 本人は罪意識が薄れてくる。

⑥ そこに指摘するのは、まさに命がけ

⑦ 指摘するのに知恵もいる。ナタンのたとえ話はまさに神様から与えられた話し方でした。

⑧ 二人だけのところで責めた。(これも大事なことです)人前ではないんです。

⑨ 18:15 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。

⑩ 預言者ナタンは祈って、祈って、示されて神様に押し出されて話したと思います。

⑪ この時、ナタンの話は通じた。

⑫ ダビデ王は悔い改めた。これは大きな恵み、神様が働いている。

⑬ ダビデがもし聞かなかったなら・・・・どうなっていたか・・その後の聖書は変わる。

⑭ 神様の憐れみと恵みが罪を悔い改めたダビデを赦してくださった。

Ⅰヨハ

1:8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。

1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

⑮ 今日の箇所で預言者ナタンは素晴らしいと思います。18:15 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。

⑯ このみ言葉を実践したのです。これは難しい。愛が、本当の愛がその友人に対してなければできない。愛なくただ責めているのではない。

⑰ その人が主の前に赦されることを信じ、悔い改めてくれることを信じ、たとえそれがうまくいかなかったとしても・・・自分を捨てての進言です。誰もいないところで二人だけで話しているのです。

⑱ ダビデの側に立ちましょう。自分の罪を指摘された。それは自分は豊かであるのに、貧しい人の大事な羊を取ったような・・・人間として最悪、赦されない人が自分だったと・・・・・。

⑲ ここでダビデは目が覚めた。そして悔い改めた。

⑳ まず自分の罪を認めた。徹底的に認めた。自分はなんと汚れた人間か、と認めた。

㉑そして神様の前に立って、自分の罪を告白して許しを求めた。

㉒この時のダビデの心、思い、祈りが詩編51章にあります。

< 51 > 指揮者のために。ダビデの賛歌。ダビデがバテ・シェバのもとに通ったのちに、預言者ナタンが彼のもとに来たとき

51:1 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。

51:2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。

51:3 まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。

51:4 私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。

51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。

51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。

51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。

51:8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、喜ぶことでしょう。

51:9 御顔を私の罪から隠し、私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。

51:10 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。

51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。

51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。

51:13 私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。

51:14 神よ。私の救いの神よ。血の罪から私を救い出してください。そうすれば、私の舌は、あなたの義を、高らかに歌うでしょう。

51:15 主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。

51:16 たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。

51:17 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。

51:18 どうか、ご恩寵により、シオンにいつくしみを施し、エルサレムの城壁を築いてください。

51:19 そのとき、あなたは、全焼のいけにえと全焼のささげ物との、義のいけにえを喜ばれるでしょう。そのとき、雄の子牛があなたの祭壇にささげられましょう。

㉓ダビデはその罪が赦されるのです。神様の憐れみと恵みは、砕かれた魂、悔いた心、それをさげすまないのです。人は罪なく生涯を送ることはできません。なぜならみな罪人だからです。しかし、憐れみ深い神様は、それを悔い改める者に赦しとまた生きるチャンスを与えてくださるのです。

㉔その背景には私たちの罪の身代わりに十字架にかかってくださったイエス様があるのです。このイエス様の十字架のゆえに私たちは罪ゆるされ立つことができるのです。

㉕罪は赦されます。ただ罪の結果の罰については受けなくてはなりません。

㉖なんでも赦してくださるだけではない。そこにキリストの十字架があるのです。

㉗今日の箇所 罪を犯した兄弟へ あなたの愛する人のために祈って、祈って、二人だけのところでそれを責める愛の心を与えてください。

勇気

㉘自分の罪を責めてくれる友に感謝します。この友がいなければどこまで落ちるかわかりませんでした。

㉙そしてその言葉の中で自分の罪を認め、悔い改めることのできるものとさせてください。

最後に、聖書には書かれていないですが、私の想像を一つ。預言者ナタンはダビデの罪を知り、ダビデに進言する時、自分の心赦す友人に、このことについての祈りを頼んだと思います。

ダビデ王を救うために、その罪を指摘し、ダビデ王が罪を認め、悔い改めることができるように祈りを積み上げたと想像するのです。私たちの場合でも同じように思います。教会の祈祷会はそのためにもあるのです。

今日の聖書日課の最後

18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

この祈りの中からイエス様が共にいてくださり、ダビデ王と預言者ナタンのふたりの時間を導いてくれたと信じるのです。

18:15 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。

祈り

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