2023年6月4日
説教題「祝祷の意味」
聖書箇所
マタイ28:16~20
28:16 しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
28:17 そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
Ⅱコリント13:11~13
13:11 終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。
13:12 聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。すべての聖徒たちが、あなたがたによろしくと言っています。
13:13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。
おはようございます。
本日は教会歴では三位一体主日です。
私は個人的には今日の三位一体主日が大好きです。
この三位一体の主によって私の信仰生活は守られているし、希望があるし、喜びがあると思います。
皆さんはどうでしょうか?
三位一体の主という言葉は難しく・・・・
毎年、難しい説明をしていると思いますが、今日はできるだけ簡単にしたいと思います。
私たち人間も世界もすべてを作られた創造主なる神。これを父なる神と呼びます。そして私たち人間が神の前に罪を犯したこと。今も犯していること、これを原罪と言います。その罪を持ったままでは父なる神のもとに行けない人間のために
神はその一人子、イエス・キリストを人間の世に送られ、イエスキリストが私たちの罪のために十字架にかかり、私たちの罪の罰を背負って死んでくださいました。このイエス・キリストが子なる神です。
そしてキリストの十字架によって今私たちは、キリストを信じる信仰によって罪ゆるされ、神の家族として永遠のいのちに生かされます。
この真理を理解するために、また私たちの日々の導きのために、私たちとの交わりをしてくださるのが聖霊なる神です。
父なる神、子なる神、聖霊なる神 この3つの神は。一つの神です。
先週の聖霊降臨(ペンテコステ)によってこの三位一体の神が完成しました。この日から私たちと共にあるのは父なる神、子なる神、聖霊なる神 この三位一体の神であるのです。
父、子、聖霊の三つの位格がある神。しかし、三人の神様ではなく一つの神というキリスト教のまさに奥義です。
毎年話しているように思いますが
人間の知恵では三位一体の奥義を十分に理解することはできない。三位一体を十分に理解しようと思うものは頭がおかしくなるであろう。しかし、三位一体を否定しようと思うものは、霊を失うであろう。
と言われます。
私は、よくわからないけれど三位一体は信ずべきものだと考えてもう45年以上キリスト者ですが・・・信じていてよかったなあといつも感謝しています。
ちなみにキリスト教の異端と言われる、統一教会やエホバの証人などはこの三位一体を否定しています。
その三位一体の神の現れが、教会の礼拝の最後に祈られる祝祷の言葉に現れています。
本日の聖書日課 Ⅱコリント13:13です。
13:13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。
ここに信仰の神髄が語られています。私たちはこの神様を信じ、この神
様に守られ、導かれて生きていくのです。
① 主イエス・キリストの恵み
② 神の愛
③ 聖霊の交わり
です。ここには父、子、聖霊の神様がおられ、それが一つである三位一体の主を教えてくれます。
そのことを考えていきましょう。
まず父 神の愛
父なる神様は、天地創造の神様です。
私たち人間も作られた神様です。私は初め、この天地創造の神様がわかりませんでした。
無神論 神様はいない。という考えでした。この世界も偶然によって作られた。私も偶然によって生まれてきた。というか・・・そんなことは深く考えたこともありませんでした。
それが教会にひょんなことから行くようになり。聖書の言葉を聞き。この世界は神様が造られた。そしてあなたも神様の御手の中で、神様のご計画の中で造られたと教えられました。
これを理解し、信じ受け入れるのにずいぶん時間がかかりました。でもあるとき神様が天地を造られたこと。私たち人間をも造られたことを信じました。ここは、今日は省略します。
父なる神様がおられることを信じました。これは唯一神の信仰です。神はただお一人の方。唯一の方が世界を造られたのです。
世界に信仰もたくさんありますが。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教は同じ聖典。創世記を信じています。神様はお一人である。天地を創造された方であるという信仰は同じです。ちなみに日本の仏教は汎神論といって神様はたくさんおられます。世界的に言うとこちらの方が少数です。
それで天地創造の神様を知って、私は神様に造られたと信じ、聖書に書かれていることはすべて真理だと信じました。
それは今までの価値観がひっくり返ることでした。神様の偉大さがどんどんわかってきました。神様は全知全能 正義の方 人間の生きる道を十戒という10の戒めを中心に教えてくれています。
それは律法と言われます。神様の教え、戒め、生きる指針です。
それは素晴らしいことですが・・・・私がそれを守れていないこともわかりました。神様の教えを守れば守ろうとするほどできていない自分を
見るのです。
例えば、律法の中心は、神を愛すること。そしてあなたの隣人をあなた自身のように愛せよという2点に要約されます。神を愛する。隣人を愛する。です。
そしてこれが守られるか??と、いや守ろうと頑張ろうとしても守れない自分を知ります。
それは自己中心からくるものです。隣人を自分自身のように愛することは、もししているように見えても、実は自分がかわいいからだとわかります。私の中に本当に隣人への愛などないんだという事が嫌というほどわかります。神様への愛も自分にはないと知ることがいっぱいあります。
これは人間の心の中にある罪が原因です。
すべての人は想像してくださった父なる神様に逆らう、従えない罪を持っているのです。それが原罪。それゆえ人は正しいことができないのです。
① ロマ
7:15 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。
7:16 もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。
7:17 ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
7:18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
7:19 私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。
7:20 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
7:21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだか
ら、私を救い出してくれるのでしょうか。
とパウロも嘆いています。
わたしも嘆きます。結局のところすべての人が神様の律法を良いと知り、喜んでいてもそれを守ることはできない。罪人なのです。
ここで父なる神の愛があります。
神様は正義の方です。でも神様は愛の方です。親が子を見るとき。よい子であってほしい。正しい子であってほしいと願うでしょう。しかし、子供は悪い事ばかりします。よい事よりも悪いことが多いでしょう。しかし、親は子供に愛を注ぎます。天の父なる神様は私たちがよい人間、悪い人間に関わりなく。愛していてくださるのです。私たちが落ち込んでボロボロになっていても・・私が自分に自信がなくなり、絶望し、神様はこんな私の事なんかお嫌いに違いないと思っていても愛してくださっているのです。
②イザ
43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
どんな私をも愛してくださっているのです。
ルカ15章の放蕩息子の話では。父なる神様から勝手に財産をもらい、出ていき、放蕩三昧をして、迷惑をかけ…ボロボロになった弟。彼がもう一度父の所に帰ろうとしたとき・・・・なんの咎めもなく彼を抱きしめ愛する父。父なる神様の愛を見ます。
3. ルカ
15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
父なる神の愛 この愛のゆえに私たちは感謝します。
そして父なる神様の究極の愛は、
罪の中に苦しみ、滅びの中にいる私たちの救いのために・・・・ご自分のひとり子イエス・キリストを犠牲にしてまで私たちを愛してくださっ
4.ヨハ
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。たのです。
祝祷の中で祈られる父なる神の愛とはこのような愛です。
そして主イエスキリストの恵み
恵みって何でしょうか?恵みとは、一方的なプレゼントです。
私たちに与えられたイエス・キリストの十字架は、キリストの死によって私たちの罪は処理されました。
本来私たちが受けなければならなかった罪に与えられる罰を、罪のないキリストが受けてくださったのです。ですから私たちはキリストを信じる信仰によって罪が赦されているのです。
こんな素晴らしい福音があるのです。
それは私たちが何か良いことをしたから与えられるのではないのです。信じられないことですが恵みで与えられるのです。
5.エペ
2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
2:9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
なんという事でしょう。
またローマ書にも
6.ロマ
5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
私たちがどうしようもない罪人であったのに
神様の愛・そしてイエスキリストの恵みによって私たちは救われたのです。
恵みは私たちの上に、一方的に無条件で惜しみなく注がれるのです。
聖書の伝える。福音は、イエスキリストが私たちの罪のために死なれたこと、キリストは死んで葬られたこと、キリストは三日目によみがえられたこと。この三つを信じることで救われます。
この福音の3要素を信仰をもって受け入れること。その私たちに一方的な恵みとして救いがあるのです。
私たちが、朝早く起きて修行をしたり、聖書を読んだり、祈ったり、献金をしたり、人の良いことをしたり・・・それは素晴らしい事ではありますが、それで救いがあるのではないのです。
救いは神様からの一方的な恵みなのです。
2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
これもまたなんと素晴らしい事でしょうか?
父なる神の愛 神様はあなたを愛してくださっています。
そして主イエスキリストの恵み 神様からの救いは私たちの行いではなく一方的な恵みなのです。
3番目は聖霊の交わりです。
祝祷では聖霊の親しき交わりと言っています。
この素晴らしい父なる神の愛 イエスキリストの恵み これだけでは絵に描いた餅みたいです。こんな素晴らしい福音があるのに私たちの心に届きません。それを私たちに教えてくれるのが聖霊様です。聖霊が私たちの心に働いてくださり。神を知り、キリストを信じる信仰を与えてくださるのです。
今日は三位一体主日 大切な日です。父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神 この三つが働いて私たちの信仰は守られるのです。どれか一つ欠けても駄目なのです。どれか一つが飛びぬけても駄目なのです。
まさに父、子、御霊の三位があって、しかもそれが三人の神ではなく、一つの神 その神を、三位一体の神を私たちは信じ従っていくのです。
本日は三位一体主日の賛美をします。最初に讃美歌66番を賛美しましたがこれも三位一体の主を賛美しています。
この後歌う讃美歌67番も三一の神を賛美しています。この三一の神によって私たちは愛をいただき、恵みをいただき導きをいただいているのです。
よろずのもの(すべてのひと) とわにしらす(永遠に知らせます)
みちちよ。(天の父なる神様)
いまめぐみを(今、現在、恵みを) くだしたまえ(与えてください)
御名をほむる われらに(父なる神様をほめたたえる私たちに)
ひととなりし 救いの御子(神の位を捨てて人間となられた救い主。神
のひとり子)
主イエスよ
利きつるぎの みことばもて(よく切れる剣のような、み言葉をもって)
しめしたまえ まことを(示してください、あなたの真実を)
いともつよき なぐさめぬし(非常に強い、慰め主、聖霊様)
みたまよ
わがこころを おさめたまえ(私の心を導いてください、平安を与えてください)
いまよりのち はなれで(これからのちもずっと離れないでいてください)
三つにまして ひとりにます(まさに三位一体)
みかみよ
みなのさかえ ほめたたえて(あなたの栄え栄光をほめたたえます)
とこしなえに したがわん (これからも永遠に従って歩ませてください)
アーメン
三位一体の主に感謝します
13:13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。
祈