2023年5月21日(日)

説教題「イエス様の最後の祈り」

聖書箇所ヨハネ17:1~11

17:1 イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。

17:2 それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。

17:3 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。

17:4 あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。

17:5 今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。

17:6 わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。彼らはあなたのみことばを守りました。

17:7 いま彼らは、あなたがわたしに下さったものはみな、あなたから出ていることを知っています。

17:8 それは、あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたから出て来たことを確かに知り、また、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。

17:9 わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった者たちのためにです。なぜなら彼らはあなたのものだからです。

17:10 わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。

17:11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたち

と同様に、彼らが一つとなるためです。

おはようございます。

先週は、イエス様がいなくなった後に私たちに送ってくださる助け主

聖霊について学びました。昔、教会で教理ハンドブックを学ぶという会がありまして。聖霊の働き全部を暗記するというようなことをしてました。なんか難しかった・・・・。聖霊の話が一番わかりにくかったと覚えています。

それでも私は、学びは好きなので100点。家内は苦手で・・・なんでこんなことをしないといけないの、と文句を言っていました。

確かに教会で、暗記をしてそれが褒められて、できないことが馬鹿にされるのは間違っていると思います。

信仰というものは暗記ではない。それが生活の中に、その人の人生にいかに働くかという事が大事です。

頭でっかちの信仰ではなく・・・心で、霊で、素直にイエス様を見上げていくことが大事だとつくづく思います。まさに先週の暗唱聖句

ルカ18:17 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」

が大事です。でも勉強も少しは大事です。先週の10の聖霊の働き 覚えておいて損はありません。

先週の礼拝後、臨時の信徒総会を行いました。堺育麦キリスト教会が神様に導かれて、守られてきたことを感謝すると同時に・・・・コロナも新しい段階になってきたように、教会も新しい歩みをしながら主にあって前進していきたいと強く願わされました。

教会員の皆様 全員が主の体として、大切な器官として、用いられていきたいものだと願わされています。

エペ

4:11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。

4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、

4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

さて今日の聖書日課に入ります。

17:1 イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。

最後の晩餐のまさに最後の場面です。

イエス様が弟子たちに思いのたけを込めて、遺言のように・・・また弟子たちを心から愛して・・・これからの生きる道について話されました。この節の前は

ヨハ

16:32 見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。いや、すでに来ています。しかし、わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです。

16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

あなたがたは世にあっては艱難があります。いろんな問題が日々あるでしょう。世にあってなんにも悩みがない人はいないでしょう。

しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのですと言われるイエス様が共にいてくださるのです。

そしてここからイエス様は目を天に向けて言われるのです。

これはイエス様の祈りです。ヨハネ17章すべてがイエス様の祈りです。

長い、長い祈りです。

そしてその祈りはこの世に残された弟子たち。また私たちへのとりなしの祈りです。

イエス様はもうすぐ天に(父なる神様)の元に行きます。

残されるクリスチャンたちのためへの祈りです。

私たちは勇敢でありなさいと言われても・・・すぐに落ち込んでしまうし、弱い人間です。うまくいけば傲慢になり、ちょっと落ち込むと劣等感にさいなまれたり・・・イエス様を見上げていつも喜んで歩みたいと願いながら・・失敗ばかりのものです。私たちは羊です。頼りない羊です。イエス様はそんなことはわかっています。

でもそんな私たちをそのままの姿で愛してくださっているのです。あなたを見放さず、孤児にはしないと約束されているのです。

今あなたの大切な先生、恩師、師匠の送別会を想像してください。最後の時、恩師はあなたのこともよくわかっていて。これからこう生きていきなさいよ。と切々と模範を示し、話をします。

しかし、ついに別れの時は来ます。

その時、恩師はあなたに向かって語るのをやめて。向きを変えて父なる神様に祈り始めるのです。イエス様もそうです。

今弟子たちを見ているのではなく、目を天に挙げて父なる神様に祈るのです。その祈りはご自分の事よりも後に残る弟子たち、私たちの事を思って、祈られるのです。この祈りは大祭司の祈りと言われます。父なる神様と私たちとの仲介をしている祈りです。

ところでヨハネ17章を全部ゆっくりと読んだことがある人はどうでしょうか?

ヨハネ福音書はただでさえ意味が深くてわかりにくく・・・17章は何の事件もないイエス様の祈りです。それもめちゃくちゃ長い・・・1章分すべてです。

変な話。私はずっと飛ばして読むか、ざっと読みをしていました。

イエス様の祈りを私たちは知っていて。感動するのは割と短い祈りです。

一般にあなたの好きなイエス様の祈りは何ですか?とクリスチャンに質問すると。

ルカ

23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。

ルカ

22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

などはよく出てきますが、一番長いヨハネ17章からはあまり出てこないそうです。

祈りの模範と言われる17章は長くて

なんか難しいんですね。

でもクリスチャン生活も長くなってきて・・今ヨハネの17章を読む時。

ここにはなんと偉大な、なんと素晴らしい祈りが書かれているんだろうと感動するのです。

私たちの祈りの模範があるのです。そんな素晴らしさを今日は少しでも味わっていただきたいと思い。

じっくりと読んでいきたい。

イエス様の願い、祈り、とりなしを知っていただきたいと願うのです。

ヨハネ17章は3つの部分に分けられます。

① ご自身のための祈り(1~5)

② 弟子たちのための祈り(6~19)

③ 信仰者のための祈り(20~26)

まずご自身のための祈り

17:1 イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。(父なる創造主なる神様)時が来ました。(これはイエス様の十字架の贖いの完成の時です)あなたの子が(イエス様の事)あなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。

17:2 それは子が、あなたからいただいたすべての者に(これは弟子たち、救われた者、私たちすべての者)、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。

17:3 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。

これは素晴らしいみ言葉です。永遠のいのちとは、父なる神とイエスキリストを知ることなのです。

17:4 あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを(十字架の事)、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。

17:5 今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。

読みながら説明をする。

続けて 弟子たちのための祈りです。

まず世とは、何か?ここで使われている世とは神様に敵対するもの。神を神としない世界。この世はサタンに支配されています。そういう意味で使われています。

17:6 わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に(弟子たち、すなわちクリスチャンたちです)、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さ

いました。彼らはあなたのみことばを守りました。

17:7 いま彼らは(クリスチャンたちは)、あなた(天の父が)がわたしに(イエス様に)下さったものはみな、あなたから出ていることを知っています。

17:8 それは、あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。(父から与えられたみ言葉をクリスチャンたちに与えました)彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたから出て来たことを確かに知り、また、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。(信じたんです!!)

17:9 わたしは彼らのためにお願いします。(クリスチャンたちのためにお願いします)世のためにではなく、あなたがわたしに下さった者たちのためにです。なぜなら彼らはあなたのものだからです。

17:10 わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。

17:11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。

17:12 わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。

17:13 わたしは今みもとにまいります。わたしは彼らの中でわたしの喜びが全うされるために、世にあってこれらのことを話しているのです。

17:14 わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。

17:15 彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。(この世の中に私たちは生きるのです)

17:16 わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。

17:17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。

17:18 あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。

17:19 わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。

最後に弟子たちによって信仰を持った人たち。すなわち私たちへの祈りです。

17:20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。(弟子たちの宣教によって信じた者たち。私たちの事でもあるし・・・これから私たちの宣教によって救われる人たちのためです)

17:21 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。

17:22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。

17:23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。

17:24 父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。

17:25 正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。

17:26 そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」

これでイエス様の最後の祈りが終わるのです。

この後は

ヨハ

18:1 イエスはこれらのことを話し終えられると、弟子たちとともに、ケデロンの川筋の向こう側に出て行かれた。そこに園があって、イエスは弟子たちといっしょに、そこに入られた。

と十字架にかかる前、捕らえられるところ ゲッセマネの園に向かうのです。

今日はゆっくりとイエス様の最後の祈り、私たちを神様の前にとりなしてくださる大祭司の祈り ヨハネ17章をご一緒に読めました。

この祈りは、今もイエス様が私たちのために祈り続けてくれている祈りです。

昔は、なんか難しくて…とっつきにくくて。

ざっと読んでいたような箇所でした。

皆さんもそうかもしれません。

でもこの祈りはイエス様がずっと祈ってくれているとりなしの祈りです。

親の心、子知らずということわざがありますが。私たちがイエス様の子とするならばイエス様は親のようなものです。子供の弱さも性格も全部わかっていて・・・今子供に行っても聞かないだろうなあ・・・と思うことはずっと心に秘めて祈っています。そんな感じがヨハネ17章の祈りの中に覚えます。

私たちの幸せのために、あなたのために・・・イエス様は祈り続けてくださっているのです。

祈り

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