2023年2月5日 礼拝説教

説教題「」

聖書箇所 マタイ5:13~20

5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。

5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。

5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

5:17 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。

5:18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。

5:19 だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。

5:20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。

おはようございます。先週は山上の垂訓をどう読むか?私たちの捕らえ方についてお話ししました。

イエス様は弟子たちに弟子としてどう生きるかということを語られました。それは弟子だけでなく多くの群衆に向かっても語られました。群衆も弟子もイエス様が語られる幸いな人とはどんな人かという言葉に耳を傾けました。

まず8つの幸いが語られました。

5:1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。

5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。

5:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

5:4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。

5:5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。

5:6 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。

5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。

5:8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。

5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

この幸いな生き方を学びました。これは私たちがすべて守られるものではありません。またこれを守ったことによって人は救われるのではありません。

人が救われるのは、私たちの罪の身代わりに十字架にかかり、身代わりの罰を受けてくださったイエス・キリストを私の救い主と信じる信仰によるのです。

私たちが立派であるとかによるのではありません。私たちが罪人であったとき、神は罪なき神の一人子イエス・キリストを十字架につけて私たちの罪の赦しをなしてくださいました。

ロマ

5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

このキリスト信じる事、そのことによって神様の恵みによって救われた私たちです。

エペ

2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

2:9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

そして救われた私たちにイエス様はこのように生きなさいとみこころを示されました。

エペ

2:10 私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

私は福音を聞いた時。なんとありがたい事かと感激しました。私のようなものを神様は愛していてくださる。しかもイエス様が十字架にかかってまで・・・・・

私が罪びとであるのに・・・・

そして、イエス様に救われたものとして、その喜びの中で生きたいと願うのは誰もが持つことだと思います。

でも救われてから、キリスト教国でもない日本で、クリスチャンとして生きていくのはなかなか難しいことがいっぱいあります。

私が洗礼を受けてクリスチャンになった時。皆さんも一緒だと思いますが証しをしようとしても・・・・なんか恥ずかしかったり…この世のプレッシャーに負けてしまったり・・・失敗ばかりでした。

今日の聖書日課の言葉はクリスチャンになった私に、胸にグサッとくる言葉でした。

マタ

5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。

5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。

5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

クリスチャンになったあなたは、世界の光です。あなたの光を人々の前で輝かせなさい。そんなことができるかな?今もできているかな?と言えばそんなたいそうなことはできていないように思います。

でも私は主イエス様に救われたものとして喜びの中で証しをします。

5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにし

なさい。

このみことばが心に響き。「そうだ!私はクリスチャンになったんだ。私がよい行いをして。それを誰かが見て。そうか豊島の信じている神様はすごいなあというようにしたいと思いました」皆さんもそう思われると思います。

一つの証しをします。

私はクリスチャンになって、会社で証ししました。とりわけ直属の上司の小林さんという方に熱心に信仰の話をしました。何とか小林さんにクリスチャンになってほしいと伝道しました。

ちょうどそのころは泉大津で下水道工事の現場でした。それもなかなか大きな工事でした。地下10Mに直径2Mの下水管をシールド工事で約1km 3年工期の仕事でした。JVと言って3社が共同で請け負っています。私はメインではなく会社からは私一人が出向していました。ですから、お会いする現場の人は皆さん初対面。そのころに私はクリスチャンになったばかり。何とか光り輝いて皆さんに証しをしたい。そんな思いはありました。

小林さんには一生懸命神様のすばらしさを話しました。割と話を聞いてくださって教会にも来てくれました。そのころ私は煙草を一日40本ほど吸っていたヘビースモーカーでした。クリスチャンになって辞めることにしました。お酒も辞めました。小林さんによい証しをしたかった。神様信じたら煙草も辞められるんですよ。と言っていました。小林さんは「豊島すごいなあ」と言ってくれていました。

5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

このみことばが実践できているとひそかに鼻高々でした。

しかし、私にとって禁煙はそう簡単ではありませんでした。ものすごい誘惑があるんです。だから小林さんの前では吸わず、会社では吸わず・・・。そのほかのところで吸っていました。やめられなかった。

これではだめだと家内にも禁煙を宣言し、家でも吸わなくなりました。そして証しをしていました。

会社でやめ、家でやめ、教会でやめ・・・・・それでやめれれれば良かったんですが。私は情けないもので・・・車の中で吸っていました。

これで証しをしている。世界の光と思っている・・・・なんかおかしな話です。小林さんから「豊島、もう禁煙が続いているなあ・・・キリストの神さんはすごいなあ」「そうでしょう!すごいんです」

と言っていたころ、仕事中に一人で車に乗るときがありました。その時、もうやめていたのに・・・やっぱり煙草に手が行って吸っていました。

その時前から車が来て、小林さんが乗っていました。気が付いた時は時すでに遅し・・・私と小林さんの目が合いました。その時私は煙草をくわえていました。

その時の感情!!! 想像できます! なんというか恥ずかしい。穴があったら入りたい。自分が光みたいに証ししていたのに。なんという不誠実。小林さんにも恥ずかしいし…神様にも申し訳ないし・・・自分が嫌になってしまいました。

事務所に帰ってどんな顔をすればいいのか・・・・。

皆さんも同じ立場になればどうでしょう。

本当に悲しかった。

5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。

5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。

5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

このみ言葉に感激して。このみ言葉を生きて証ししたいと願ったのに。誘惑に負けて

まったく反対の事をしてしまっている自分です。もう聖書の言葉もまともに読めない気がしました。

あの時、事務所に帰って小林さんにあった時、どんな話をしたか?よく覚えていません。それまで偉そうに言っていただけにつらかったです。

「豊島の神さんは大したことないなあ」と笑ってくれた気がします。

何が私は言いたいか?

世界の光になんかなれないんです。なったと思ったら逆におかしなことになるんです。私は大失敗。

でもですね、私はこのことを通して、自分はそんな立派なものではない。私が光だなんて証しできるような者なんかじゃない。まさに罪人のかしらだ!!!とつくづく思いました。

しかし、それで落ち込んだら福音ではない。

こんな情けない私でも、私のためにイエス様が十字架にかかり死んでくださった。そしてキリストの十字架を信じる者に神様のまさに一歩的な恵みで救いを与えてくださった。

このことが心の底から理解できたのです。

私が成功しなくても・・・・いや失敗だらけでも、そのままの私を神様は愛してくださっている。私の目にはあなたは高価で貴いと言ってくださっているということを教えてくださったのです。

ですから私は失敗する私をも愛してくださる神様をあがめたのです。

これは今年も目標聖句にもつながります。

私の禁煙がうまくいって人々に証しできたら 私のたましい 理性も神様は素晴らしい!!と主をあがめます。

ルカ

「わがたましいは主をあがめ、

でも残念ながらそううまくはいきませんでした。そして皆さんもこんなことの方が多いでしょう。

証しにも何にもならないことをして。私のたましい、こころ、理性もボロボロです。

でもですよ。私の中に有る霊は(聖霊を通して)私の救い主イエス・キリストを示してくださったのです。イエス様があなたを愛しているよ。大丈夫。あなたは救われているよ。あなたは神様の愛の中にいるよと教えてくださるのです。

1:47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。

こんなことが起こるのです。

なんと幸いなことでしょうか。

クリスチャンは失敗だらけ、情けないこともいっぱいあります。そんなにいい証しができるものでもありません。完璧な者でもありません。しかしここで落ち込むのではない。ここが感謝なことです。

こんなものを救い出してくださるイエス様がおられるのです。

小林さんには、こんな者でも愛してくださるイエス様は素晴らしいでしょう!!と性懲りもなく証ししました。

5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。

5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。

5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

救われたもの、キリストの弟子は世界の光です。光は隠れたらいけないんです。いや隠れることはできないんです。せっかくの明かりをマスの下に置くとは見えなくすることです。明かりは見えなくするのでなく燭台の上においてこそ光なんです。

私は立派な光を照らさなくてもいいんだと教えられました。暗闇の中ではマッチ一本の光でもありがたいものです。

キリストのでしたる私たちは情けない、失敗だらけであっても、許されて光とさせていただいている。その光が誰かに必要な時があるでしょう。隠さないで光として歩みましょう。

私もその後失敗だらけの証しをしてきましたが・・・・いつの間にか神様の恵みで、あんなに難しかった禁煙が今ではできています。これには自分の力は全くゼロ。なんの誇ることもできません。

さてもう一つイエス様は弟子たちに言われました。あなた方は地の塩です。

5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

クリスチャンは地の塩です。と言われます。あなたは地の塩です。

塩っていまでこそ調味料の中でも一番安いものの一つです。

この聖書の当時。大変貴重なものでした。

サラリーマンという言葉がありますが、これはもともとラテン語の塩の支給という言葉から来ています。ローマの軍隊などでは給料として塩が支給されていたそうです。塩はそれほど大事なものです。

地の塩も大事な働きです。

塩の特徴を考えてみます。

① 味付け 塩はちょっとで効果があります。そんなにたくさんなくてもいいです。でも大事です。ぜんざいなど甘いものにも塩はいります。塩によって甘さが引き立ちます。スイカなんかも砂糖をかけず塩をかければ甘くなります。塩は溶けていきます。浸透します。いつまでも塩の塊ではないです。料理にさりげなく溶け込むのです。

地の塩として私たちもこんな特徴が求められているのかも。私は塩です!!と自己主張していつまでも塩の塊のままでいるのではなくて、さりげなく皆さんに溶け込んで、なくてはならぬ塩気、味を出す。多すぎると塩辛すぎる。ほどほどに・・・・まさに塩梅をもって

② 塩は防腐剤 塩は腐りにくくします。塩サケとか漬物とか防腐効果があります。その防腐作用によってものが腐って消えてしまうことを防いだために、神秘的な力があると信じられ、魔除けや厄除け、清めにも使われるようになったと言われています。確かに日本でも清めに塩をまきます。

私たちを地の塩とするなら、私たちに防腐効果がある。そんなものでありたいですね。クリスチャンがいるということが社会の腐敗を防ぐのです。

③ 地の塩 この言葉を思いめぐらせていた時。「地の塩・山室井軍平」という映画を見ました。YouTubeで見ることができました。

山室軍平という人は救世軍の日本初の士官になった人で日本の司令官にもなっています。救世軍というのはキリストの旗印のもとこの世を救おうと働く、神様の軍隊という働きです。山室軍平の伝記のような映画でした。彼はまさに地の塩として愛を語り続けた人でした。多くの社会活動をされました。救世軍の社会鍋などは今も有名ですが。彼のベースは信仰にありました。そして理解の難しかった日本の貧しい人々にわかるようにと「平民の福音」という信仰をわかりやすく説いた本は日本のベストセラーの一つです。

5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

イエス様は弟子たちに私たちに、あなた方は地の塩ですと言われます。塩の働きをしたいものです。私たちには塩気が必要なのです。塩と言いながら形だけの塩 塩気のない塩は、何の役にも立ちません。捨てられて踏みつけられますと警告されます。塩気を失わないクリスチャンでありたいものです。

イエス様はあなた方は地の塩です。世の光です。と言ってくださっています。恐れ多くも感謝なことです。それに到底ふさわしくないものです。それでもそのままの私たちを許し、愛し、地の塩、世の光として立たしてくださっているのです。

わららの生きる目標です。

ここでイエス様は再びイエス様がこの世に来られた目的を語られます。

私が来たのは、律法や預言者を廃棄するためではありません。

律法とはモーセ五書のユダヤ的呼び方

預言者とは 預言書の事 すなわち旧約聖書すべての事です。イエス様はもう旧約聖書はいらないよ。私は新しいことを教えるよと言いうのではない。神様の教え、律法、戒め、旧約聖書は捨てるものではない。

それが成就するために来たんだよ。

旧約聖書の教えていることも全部大切だよと言われているのです。

5:17 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。

5:18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。

5:19 だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。

5:20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。

律法の中に神様の御心があるよ。あなたたちの生きる道があるよと説かれます。そして当時の宗教指導者 律法学者、パリサイ人よりも勝るものでありなさいと言われます。当然、これを守って救われるのではない。十字架のイエスキリストを信じることで救われるのですが

救われたものは喜びの中でこんな風に生きていきなさいと、具体的に語られて生きます。それが山上の垂訓です。それは来週になります。

祈り

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