2022年3月13日 堺育麦キリスト教会の礼拝 動画です。 https://youtu.be/38B1cFd-7AQ

説経の文字原稿は以下からです。

説教題「今日も、明日も、次の日も」

聖書箇所ルカ13:31~35

13:31 ちょうどそのとき、何人かのパリサイ人が近寄って来て、イエスに言った。「ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。」

13:32 イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。

13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』

13:34 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。

13:35 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」

四旬節第二週になりました。

イエス様は、受難を見据えてエルサレムに向かっています。

そこへ行けば、自分の命が危ない事もわかっていて・・・・それでもエルサレムに向かっているのです。

コロナ感染防止のために礼拝を完全オンラインで行っていますが、高齢者の3回目ワクチンも進んできたこともあり、礼拝はクリスチャンにとって大切な時でありますので・・・感染対策を取りながら、来週(3/20)から教会での対面の礼拝を再開したいと考えています。

心配な方々のためにZOOMでの同時中継のオンライン礼拝 説教のYouTube録画も行いますのでよろしくお願いいたします。

さて今日の聖書日課を簡単に見ていきます。

13:31 ちょうどそのとき、何人かのパリサイ人が近寄って来て、イエスに言った。「ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。」

ちょうどその時・・・と言うのはイエス様が人々に神の国の事について話をしている時です。

イエス様が人々に話をしている時、パリサイ人が何人かやって来て・・・その話に割り込んでイエス様に「あなたの命が狙われている」と告げるのです。

バプテスマのヨハネを殺したヘロデ王が、イエス様。あなたも殺そうと狙っていますよ。もう人目のつかないところに逃げなさい。と勧めるのです。

この背景は、ヘロデ王はバプテスマのヨハネを正しい人。神の言葉を語る預言者だと思っていましたが・・・それを素直に信じることができず、自分の娘が踊りを踊った時、褒美になんでもあげようと約束し、娘はその母サロメに言ったところ、「バプテスマのヨハネの首」と言われ、大勢の前での約束の手前・・・ヨハネを殺してしまいます。そんな事がありました。ヘロデ王はその事は後ろめたい気持ちもあったでしょう。

しかし、今、バプテスマのヨハネよりすごい人が来ている。ヨハネが言っていた神の子、キリストがやってくると言うのはヘロデ王にとって、怖い事でした。嫌な事でした。できればイエスには来てほしくない。殺してしまいたいような事でした。

イエス様の人気は群衆の間で抜群です。王様と言うのは自分の立場を脅かすようなもの。自分に反対する者。自分より上になるものは抹殺したいのです。

そして今ここに来たパリサイ人の心にもイエス様を良く思っていない気持ちはあったでしょう。

13:31 ちょうどそのとき、何人かのパリサイ人が近寄って来て、イエスに言った。「ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。」

ここでの解釈の代表的なものは

① パリサイ人が言葉通り・・・イエス様の事を尊敬し、心配し、あなたの命が狙われていますから・・・どこか逃げてください。と言う。イエス様を心配しての忠告

② パリサイ人もイエス様には来てほしくない。特にイスラエルの中心地、神殿のある町、エルサレムには来てほしくない。だから王様のせいにして…王様をダシにしてイエスを追い払おうとしていた。

というような考えがあります。

たぶん2番が正解と考えます。

ようはイエス様。あなたは人々に癒しを行い、神の愛を伝え・・・福音を伝えています。でもあなたの命を狙っている人がいますよ。今すぐここから出て立ち去りなさい。と言われているのです。

それに対してイエス様は応えられます。

13:32 イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。

13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』

この言葉の中にパリサイ人とヘロデ王とは仲間みたいな感じがあります。行ってあの狐に言いなさい!! 狐と言うのはあんまりいい呼び方ではないです。

ずるがしこいとか、狐と呼ぶのはヘロデ王を尊敬はしていないいい方です。

パリサイ人、ヘロデ王とイエス様は敵対している様子がわかります。

そして、お前たちがどんなに私の命を狙っても・・・私は逃げない・・・毎日毎日、今日も明日も、私はやるべきことをやります。

そしてその時、最後の時は近いかもしれない事も三日目に全うされます。という言葉で言っています。

とにかく私は、どこにも逃げない・・・・定められた場所エルサレムに行くのです。と言われます。

13:32 イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。

13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』

そしてイエス様の言葉は、こんな時代になっても、イエス様を信じ、受け入れない人々。ユダヤの人々への嘆きと愛が語られます。

神様に選ばれ、愛されてきたイスラエルの人々は、結局のところ神様に従わず・・・自分勝手に生きてきました。

エルサレムと言うのはイスラエル民族を代表する言葉でもあります。

神殿のある場所です。聖地です。

その神殿のあるエルサレムで、人々は幾人の預言者を殺し、追い出したか・・・・

神様は、母鳥が自分のひなを、命懸けで自分の羽の中に隠すように愛してきたのに・・・・

あなた方は神に立ち返らなかった。と嘆かれるのです。

基本的にどんなに罪を犯しても悔い改めて神様の元に帰ってくるなら・・・放蕩息子の弟を迎え入れたお父さんのように神様はいつでも赦してくださる。待っておられるのです。

でもその事を受け入れなかったイスラエルの民のためへの嘆きです。

13:34 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。

13:35 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」

今日の箇所は三つの部分に分かれています。

① イエス様へ危険があるとの警告

② イエス様は苦難の中でも進んでいくとの決意

③ 現実問題の中で神に選ばれた選民イスラエルの未来の預言です。

3番のイスラエルの未来への預言は、なかなか難しいところです。神にえらばれた選民イスラエルは、神様から送られた神の子イエス・キリストを拒否します。

イエス様を十字架につけ、復活のイエス様からの福音も受け入れる人は少なく

現代にいたってもユダヤ教の人々はイエス様を救い主として受け入れていません。

そして異邦人と言われる、ユダヤ教以外の人が先に救われています。

このあたりの事はローマ10~11章あたりのパウロの、同胞イスラエルの救いについての言葉が参考になります。

確かに今も多くのユダヤ人は主イエス様を受け入れていない人が多いのです。

それをイエス様は嘆かれています。

13:34 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。

13:35 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」

で、今日私が特に教えられ、皆様と分かち合いたいのは2番目の部分

イエス様は苦難の中でも進んでいくと言う決意の部分です。

13:32 イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。

13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』

イエス様は今、エルサレムに向かっています。それはエルサレムで

と言われたごとく私たちの救いのために十字架にかかり、死に、三日目によみがえり福音を完成するためです。

大きな、大きな使命があります。そのためには逃げることはできない。ご自分の使命に向かって生きているのです。

そこに行く前にヘロデ王から命を狙われているという危険もあります。しかしイエス様は進んでいくのです。

13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』

今日のみ言葉の中で、わたしは今日も明日も次の日も進んでいかなければなりません。と言う言葉に教えらえました。

私たちの人生に、生き方について考えてみるならば、イエス様の今日の姿は私達の生きる模範でもあります。

大きな観点で見れば、イエス様はどんな困難があっても神様からの使命である、十字架を見つめて、エルサレムに向かっています。これは大目標・・・ある意味イエス様の生涯のゴールです。

そこに至る中で様々な試練が、危機があります。

私たちクリスチャンの大きな使命・目標は何でしょうか?

私達はいつか神様の元に罪ゆるされたものとして天の御国で過ごすことです。ある意味地上では旅人。寄留者です。

ピリ 3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

ヘブル 11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

ピリ 1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。

イエス様もその目は確かにエルサレムに向かっています。

私達も、素晴らしい永遠の命をいただいています。

そしたらもう天国に行った方がいいのか???

この世の寄留者、世捨て人のように歩んでいいのか?

そうではない私たちは生かされている時。

毎日を、永遠の命、天国の約束があればこそ・・・

13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』

今日も明日も、次の日も・・・生かされてる毎日を精いっぱい生きていくことが大事なのです。

仕事を、家庭を、学校を・・・自分に与えられている居場所での働きを進んでいくのです。

パウロ先生も生きることの大切さを教えてくれています。

ピリ

1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。

1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。

1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。

1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。

私達に与えられている命を・・・あなたのために用意してくださっている日々を・・・たとえ十字架が目前に迫っていてもイエス様は・・・最後まで人々を癒し、福音を語り・・・きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。

私達にできることは今与えられている命を大切に・・・神様が生かして下さっている命・・・それは何も無駄な事はありません。

退屈な、代り映えのしない日々かもしれません。

でもその日々を大切に。。。

Ⅰテサ

5:16 いつも喜んでいなさい。

5:17 絶えず祈りなさい。

5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

ヨハ

13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

力足りない私達ですが・・・私たちのために十字架にかかり救いを完成させてくれたイエス・キリストの福音を、愛する方々にお伝えすることも大きな使命です。

皆様の祈りでもありましょう。

私は、そのために召されていると確信しています。教会もそのためにあります。

この働きのために、イエス様の模範があります。

13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』

イエス様がエルサレムに行くことをやめれば、逃げれば・・・救いは完成しないのです。

イエス様はエルサレムに行かないと言う決断もできる自由がありました。誘惑がありました。

そしてその道の方が困難に見えることがありました。

私達も困難や試練の中で・・・それを避けて、そこを去っていく道も許されています。

人生はそんな繰り返しであります。

私達もそんな選択の日々です。

13:31 ちょうどそのとき、何人かのパリサイ人が近寄って来て、イエスに言った。「ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。」

13:32 イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。

13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』

イエス様は生かされている日を大切に生きました。それはもう最後が近い事をわかっていても生きました。

それは難しいことかもしれません。

父がしんどい時・・・・「守よ。わしはもういのちが長くない。死んで天国に行く方が嬉しい事や。それでもなんで毎日生きているんやろ・・・・何にもできないのに・・・しんどいのに・・・生きるってつらいなあ・・しんどいなあ・・・早く天国に行き

たいなあ」という時がありました。

私は何も言う事ができませんでした。ただ手を握って・・・そうやなあ・・・その方が楽なのに・・・なんで命があるんかなあ・・・・と心合わせました。でも生かされている間は、やっぱり父なりの使命があるんだと思いました。しばらくして父がイエス様に助けられて・・・「ありがとう!!ありがとう!!いい気持ちや!と言っている姿を何回も見ました。

父なりに今日も明日も次の日も守り導いてくださっているイエス様を覚え・・・・

状況は良くないかもしれないけれど・・・ありがとうと言う心に変えられていったんだと思います。その姿を見る時。イエス様に私も感謝しました。

これは命短い人の話だけではありません。

まだお若い方・・・これからの方々にも同じです。

大きな目標・・・永遠の命、天国の約束が与えられていても

毎日の日々は、しんどい事もあります。先の見えない事もあります。不安になることをあります。

しかし、私達はそんな日々を、今日も明日も次の日もすすんでいかなければなりません。

言葉はなりません。ときついですが。

私達は、毎日、毎日を大切に進んでいかなければなりません。毎日が大切なのです。それを導いてくださるのは私達の救い主、主イエス様です。

教会暦は受難週に向かっていく四旬節です。毎年、教会も試練はあります。イースター前はいつも試練が多い。

でも、主はいつも私たちを守り、導いてくださいました。いろんな試練を乗り越えてきました。

今日は、礼拝ではあまり話したことのない教会の会計の事についてお話します。私達の教会はすごい金持ちがいるわけではありません。

Ⅰコリ

1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。

1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

1:29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。

教会の会計はいつもギリギリな所を歩んでいます。

出費の大半は牧師給、家賃、まあ教会の維持費ですから、私も心苦しい思いをすることがあります。牧師給を返還しようかと考える時もありますが・・・・・それは教会の健全な姿ではない。と思います。教会を維持して行くには必要な経費です。

そして教会は、一人一人の救いのために、信仰生活の守りと恵みのために、まだ福音を聞いた事のない人への宣教のために・・・大切な場所です。

教会を通して、福音が広がっていくと言う大きな夢を私たちは持っています。主の教会は続けていきたい。

そのためにある試練からは逃げないで生きたい。

イエス様が言われたように13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』

2月の会計報告を見ると、礼拝が全部オンラインになって皆さんが教会に来れなかったこともあって、教会始まって以来の大赤字でした。

こんなことを言うのは、皆さんを苦しめるためではありません。

皆さんに祈ってもらいたいからです。

ある人が私は教会の会計がそんなに厳しい事を知らなかった。教えてくれたらよかった。会計や牧師だけが祈っているのは水臭い。仲間、神の家族なんだから、危機だという事を話してくれる方がいい。みんなの祈りを集めていこう。私達は確かに貧しいものかもしれないけれど、神様がそんな私たちを選ばれたんだからきっと意味がある。

主はどんな時も栄光の富を持ってみこころなら守って下さる。

そのためには、皆さんの心を合わせた祈り。涙の祈りがすべてです。

祈りの中で主は働いてくださいます。

今までもこんな危機はたくさんありました。

気が付くと私達の群れは乗り越えてきました。

そんな信仰で行きましょう。栄光の富を主が与えてくださいます。

その中で、しんどい事もあるし、試練もあります。

今日も、明日も、次の日も、私達は毎日を大切にして進んでいきましょう。

お金の事は、話しにくい事があります。サタンが私達をつまずかせることがあります。

それも含めて、私達の守りと恵みのために

イエス様は、日々、毎日、私達を守り導いてくださっていると信じるのです。

13:32 イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。

13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』

祈り

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