2022年10月30日 礼拝説教

説教題「イエス様からの声掛け」

聖書箇所ルカ19:1~10

ルカ

19:1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。

19:2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。

19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。

19:4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。

19:5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」

19:6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。

19:7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。

19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」

19:9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。

19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

おはようございます。

先週は講壇交換で御影ルーテル教会に行きました。

御影ルーテル教会は私たちの群れ、フェローシップディコンリーの発祥の地の教会です。石屋川ルーテル教会と言っていました。私たちの教会の前の牧師 太田多聞先生が最初の牧師でありました。立派な教会堂で伝統のある教会です。ラインで皆さんに写真を送りましたご覧になられた方もあると思います。いろいろと勉強になることもありました。講壇交換のいいところだと思います。ただ私は、堺育麦キリスト教会で説教させていただいていることが感謝ですし、喜びだなあとも思いました。皆さんが旅行に行って、いいホテルに泊まったり、いい景色をみたりし

ても・・・・家に帰ってきたらほっとして・・やっぱり家がいいわあという感じです。育麦が、鳳の地が私にとっていま与えられている恵みの場所だと再確認いたしました。

さて今日は説教の前に皆さんに報告があります。

ちぐさのもりの事です。29日の話し合いの中から

聖書日課に入ります。

イエス様はエリコの町に来ました。

この町にはザアカイという人がいました。彼は取税人のかしらで金持ちであった。

19:1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。

19:2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。

当時の取税人というと税金を取る人。今の税務署の職員さんみたいな固い仕事ではありません。

当時はユダヤの町はローマの属国でありました。支配者はローマ帝国です。ローマ帝国は支配する国から税金を取っていました。これはなかなか大変な仕事です。ローマ人がやってきてユダヤ人から直接税金を集めるという作業は大変です。みんな納めたくないわけですからそこから集めるのは、暴動がおこるかもしれないし、ローマ人がわざわざ来てするのも危険だし、人件費もかかります。ローマ帝国はこのあたりの方策がうまくて、占領地から税金を集めるのを自分たちがせずに現地の人にさせていました。ユダヤ人にさせていたわけです。

ユダヤ人は神様を信じ、礼拝しています。ローマ人はまことの神様を信じていません。異邦人です。ですからユダヤ人としてはローマに虐げられて税金を納めることも全くうれしくなかった。だからローマに収める税金なんか集めたくない。

しかし、中には金儲けのために、ローマの手先になって税金を集める仕事をする人もいます。ローマ帝国はそんな人を利用しました。そして取税人にはローマの保護も与えた。

私が思い浮かんだのは、江戸時代に、治安を守るために江戸幕府は武士を中心に警察組織を作りましたが。それだけでは人手が足りません。武士は与力、同心ですが、それだけでは全く人手が足りないので、下役を使いました。目明しとか岡っ引きとか時代劇で出てくるやつです。彼らは、本来は警察ではない個人的な手先です。でも十手を持たしてもらっ

て警察みたいなことをしていました。幕府のお墨付きをもらっていたのです。彼らは結構育ちの悪い人たちで、罪人がなっていた。

そんな人を利用して江戸幕府は治安を守っていた。だから十手を預かっている人は親分もいて・・・もう皆さん知りませんかねえ…銭形平次みたいな親分です。みんながいい人ではなく悪い親分もいました。幕府は親分たちの悪事の少しは大目に見て、自分たちのために利用していたんです。

聖書の時代の取税人もそうでした・・・ローマ帝国はこの誰もがしたくない仕事。人から恨まれる仕事。とりわけユダヤでは神様を裏切るような仕事。

これをするのは同国人、ユダヤ人から恨まれるのも承知でする人を募集するのです。

これは請負制度で今年、この地域で私はこれだけの税金を集めます。というような入札をして。誰かが取税人のかしらになり、ほかの取税人を使って税金を集めるのです。ローマ帝国は取税人の悪事もある意味見逃していました。例えばこの町で今年は1億円の税金を納めますと約束した取税人がいればその人に任せ。1億円ローマに収めればよしとしました。

その取税人がローマの権力をかさにきて3億円集めてもそれは見逃していました。

ですから取税人のかしらは不正な利益を得ているので金持ちになるのです。

ザアカイはそんな人でした。人からは嫌がられ、憎まれている、軽蔑されている。でも金持ちだったんです。

ザアカイはお金はあったかもしれないけれど人から嫌われていた・・・寂しい心もあったでしょう。そんなザアカイのところにエリコの町に、今有名なイエス様が来られるという話を聞きます。

19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。

道を通られるイエス様を見に行きます。ところが彼には弱点がありました。背が低い。人には皆、弱点みたいなところがあるものです。

ザアカイさんはお金持ちでいつも威張っているけど背が低かった。背が低いと列の最前列に行けば見えますが・・・後ろからは見えません。前にウェスティに天童よしみさんが歌いに来ていて、無料だし、ちょっと見に行ってみようと孫と行きましたら。もう朝早くから来ている人がいっぱいで、後から行った私なんかは見れません。まあ私は大人ですからそれでも人ごみの間から少しは見えましたが、孫は小さいから何にも見

えません。見えないので怒っていたので肩車して見せてあげました。といっても天童よしみを喜んではいなかった。(プリキュアだったら喜んだと思います)

とにかく群衆がいたのでは背の低いザアカイさんは全く見えません。

嫌われているので、誰も前にはいかしてくれません。肩車もしてくれません。ザアカイさんはそんなことを人に頼む気もなかったと思いますし・・・誰も助けてはくれなかった。ここに彼の孤独を見ます。

ザアカイさんはイエス様にはものすごく興味があったのです。何か惹かれるものがあった。

19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。

背が低くて見えないとしても人に頼むのもしゃくだし・・・・それでもイエス様に会いたい。彼は木の上からイエス様を見ようと考えます。なかなか頭がいい。

19:4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。

先回りして走って行って、イチジク桑の木に登るのです。そして木の上からイエス様を見てやろう。見下ろしてやろうとするのです。

ドキドキしたでしょうね・・・・

イエス様がやってきます。

この時のザアカイさんの心境はどうだったんでしょうか?

最近、大リーグの中継をよく見ます。大谷翔平を見るのが好きなんです。

彼はアメリカ人にも人気があります。子供たちにも人気があります。

大谷がいるとき子供たちは必至で前に来ます。でも中には恥ずかしがり屋で声をかけれない子もいます。

そんな子に大谷が声をかけてサインをしてあげている姿がYouTubeでよく見ます。

その子は思いがけない大谷選手の声掛け、しかもサインまでもらって、もう顔が紅潮して大喜びしている姿を見ます。

ザアカイさんにもそんなことが起こったんです。

19:5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」

ただイエス様の顔を見るだけでもしたいと思っているザアカイさん。ド

キドキしながイエス様が通るのを待っていると・・・イエス様が上を見上げて声をかけてくれたんです。さっきの大谷選手が恥ずかしそうにしている女の子に振り向いて声をかける姿を思います。その喜びようが目に浮かびます。

しかもイエス様はザアカイと名前を呼ばれたのです。これは驚くべきことです。今まで話もしたことのないイエス様がザアカイの名前を呼んだのです。名前を呼ばれることは大きなことです。イエス様がザアカイを大切な魂としてみておられることです。皆さんでもそうでしょう。そこのあなた。お兄さん、お姉さんと呼ばれるのでなく名前を呼ばれる。ザアカイは感激したでしょう。私たちにも神様が個人的に声掛けをしてくださるのです。

私が洗礼を受けたのはもう43年前ですが、その時洗礼を授けてくれたのは、当時の教会の先生は按手の資格がなかったので、特別に来てくださった偉い先生でした。中島彰という日本のキリスト教会で有名な先生でした。その先生が洗礼の日だけ来て私たち夫婦と何人かの洗礼をしてくれました。それから4年ほどたってある集会で中島彰先生を拝見しました。体が細くて白髪で仙人見たな清い方という感じでした。洗礼のお礼のあいさつに行こうとしましたが。絶対に私の事なんか覚えていないと思いました。でも恐る恐るあいさつに行きますと。自己紹介をすると「ああ、豊島兄。いつも祈っていますよ」と言われました。

えっ!そんなことあるわけないやん。と思いました。社交辞令と思いました。洗礼を受けたあなたの信仰が守られるように祈っていますよ。

と言われて、持っていた聖書に挟んでいた紙を見せてくれました。そこにはその日洗礼を受けた人の名が書かれていました。先生にとって大病をされ、復帰第一号の洗礼者だったので覚えて祈ってくれていたのだそうです。

それを見て、私は体が震えるほど感動しました。

ザアカイよと言われたザアカイさんも震えるほど感動してと思います。

人から嫌われ、お金はあるけど孤独の中にいたザアカイさん。イエス様が名前を呼んでくださった。これは大きな喜びです。

そしてイエス様はザアカイと呼んだだけでなく

19:5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」

今日はあなたの家に泊まることにしてあるからというのです。

これなんかはもう理解不能です。

群衆に囲まれて、大人気のイエス様が私の家に泊まってくださる!!!

もうパニックになりそうです。

急いでその木の上から降りてきなさい。と言われます。

木の上とは傍観者です。自分はイエス様を高見の見物している姿です。

それはイエス様は見れるかもしれないけれど生きた交わりではありません。ただ見ているだけです。

イエス様は急いで降りてきなさいと言われるのです。それはイエス様からの招きです。

私たちも聖書の話を聞くとき・・・教会に来るとき・・木の上からイエス様を眺めているときがありました。

でもイエス様は急いで降りてきなさいと言われるのです。

そしてあなたの家に泊まることにしてあるといわれるのです。

ただ降りてここに来い!!!失礼な奴だ。木の上から見下ろして。降りて来い。と怒っているのではない。あなたの家に泊まるから・・・・と声をかけてくださっているのです。あなたと深く関係を持ちたいといわれているのです。

泊まるということは相当親しいい間柄です。イエス様はザアカイに、私たちにも降りてきなさい。今日あなたの家に泊まるからと声をかけてくださっているのです。

黙示3:20

3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

イエス様からの呼びかけなのです。

ザアカイさんはどうしたでしょう?

19:6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。

ザアカイさんは喜びました。大喜びしました。傍観者のような木の上から急いで降りてきました。

孤独なザアカイさんに声をかけてくださったイエス様が本当にうれしかったんだということが、この短い一節に表れています。

イエス様を自分の心を開いてお迎えするのです。

でもこれはある意味大変な問題を含んでいました。

罪びとの頭のような…町の嫌われ者・・・取税人の頭 ザアカイさんの

家にイエス様が泊まることは考えられないことだったのです。

19:7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。

人々が群がるほどの…大人気のイエス様が・・・よりによってあのザアカイさんのところに客となるとは・・・・

みなは、(多くの人は、一般的常識人は・・・・)信じられない!!!イエス様があんな嫌な奴、ザアカイさんのところに行くなんて。彼は罪人なのに・・・・・。とつぶやくのです。これは多くの批判的な心です。

ただザアカイさんの立場に立てばどうでしょう?ザアカイさんは嬉しくてたまりません。

そりゃあそうでしょう。誰も来てくれなかった家に、イエス様が来られたのです。

人が心にイエス様を受け入れたときにおこることは大きな喜びです。

ザアカイは喜びの中で言うのです。叫んだのかもしれません。嬉しくて嬉しくて・・・私のところにイエス様が来てくれた。その喜びの中で叫ぶのです。

19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」

これってどういうこと?まず自分の財産の半分を貧しい人たちに施します。もし一億円の財産が有れば5000万円は施します。

また誰からでも私がだまし取ったものは四倍にして返します。

ザアカイさんは金持ちだといいました。でもよく考えれば正当な仕事で金持ちになったのではありません。本来とる以上の税金を自分の私利私欲のために人をだまし取って取ったお金で金持ちになったのです。

ですからだまし取った金だらけです。それを四倍にして返すとはザアカイさんのお金は全くなくなるし・・・大赤字になるかもしれません。そうかな‥と思っていましたが・・・・

今回読んでいて、私の発見ですが。だまし取った物という言葉です。財産は半分施します。家の中にだまし取った物・・・壺とか絵画とか、借金の方にとったような物がいっぱいあって。それを返す。それを四倍にして返すということかな・・・と思いました。それなら読んばにして返してもザアカイさんの支払い能力はあるかな…と勝手に想像しました。

それにしてもたぶん何にも残らない・・・もう金持ちではなくなります。

ザアカイにとって一番のよりどころだったお金が無くなるのです。それでもザアカイは喜んでいるのです。

ザアカイは財産以上のものをもらったのです。

マル

8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。

全世界を得ても、どんなにお金があっても肝心の命のほうが大切なのです。

ザアカイさんは今それを得たのです。

19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」

ザアカイさんのこの告白は、彼の悔い改めです。彼の生き方が、イエス様に出会って帰られたのです。

イエス様もそのことを証しされました。

19:9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。

イエス様ははっきりとザアカイさんの救いを宣言されたのです。

そしてイエス様はご自分がこの世界に来られた目的をおっしゃられます。

19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

人の子、すなわちイエス様は、何のためにこの人間の世に来られたか?それは失われた人を探して救うために来たのです。と言われます。

エリコの町の取税人のかしらザアカイさんはまさに失われた人でした。

彼はイエス様のうわさを聞き、見に行こうとします。しかし、彼は背が低く見ることができませんでした。

私たちもイエス様のうわさを聞きました。でも背が低いとか忙しいとか…いろんな理由でイエス様にお会いすることができないことがあります。

しかし、ザアカイさんはよほどイエス様に会いたかった、見たかった。

そして彼の知恵を使ってイチジク桑の上からイエス様を見ます。

その時、驚くべきことが起こったのです。雲の上のような人。とても話するできないような人。エンジェルススタジアムの大谷翔平みたいな人から声がかかるのです。

19:5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」

まさに驚くべきこと、彼の人生にとって大きな大きな出来事が起こったのです。

イエス様から名前を呼んで声をかけてくださった。しかもあなたのところに泊まるから・・・と言われるのです。

ザアカイは神様から離れ、孤独に生きていました。お金がありましたがさみしい人生でした。まさに失われていた人です。そのザアカイにイエス様から声がかかる。

考えてみれば、私たちの救いも多くの人はそうです。失われたものであったのが不思議な導きでイエス様から声がかかるのです。聖書の中でも多くの人がイエス様から声がかかっています。ペテロさん、ヨハネさんもそうです。マタイさんもそうです。

新約聖書の偉大な使徒パウロさんなんかは、イエス様を信じる人々を捕まえて投獄しようといっている、その道でイエス様から声がかかるのです。

私たちもいろんな形で声がかかったのです。

その時、ザアカイさんに求められたこと。それは急いで降りてきなさい。という言葉でした。木の上から傍観者のように眺めていないで、今急いで降りてきて私の元に来なさいとの招きです。

ザアカイさんは急いで降りてきました。

そこには喜びがあり、新しい救われた人生の出発があったのです。

讃美歌517番の我にこよとしゅはいま

の賛美のごとくです。

急いで降りてイエス様の元に行くとき。恵みが満ち溢れるのです。

今日はとりわけイエス様からの声掛けが響きました。

救いの時だけでなくクリスチャンになってからもイエス様は私たちに声をかけてくれているのです。

豊島守さん。急いで降りてきなさい。今日あなたの家に泊まることにしてあるから。

皆さんにも声がかかります。あなたは木の上からイエス様を見下ろし、

傍観者です。

そこではイエス様は見るだけです。

どうしますか???

イエス様の声を聞いて、急いで降りて行った時。

あなたはイエス様と生きた交わりを体験し

あなたの日々は変えられていくのです。

周りの人は罪人と言われるザアカイのところにイエス様が行かれたことを批判しました。でもザアカイはそんな中でも変えられたのです。

ザアカイはイエス様といただけで、何を言われたのではなく

彼の心が変えられて

19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」

自分の罪を悔い改め・・新しいザアカイに変えられてのです。

私たちもそうだと信じます。

降りて行って、木から降りて、イエス様の元に行くとき

人は恵みの中で変えられていくのです。

信仰を持ってからもいろんな悩みや寂しさがあるかもしれません。そんな時。イエス様から声がかかるのです。

そして降りていくとき

Ⅱコリ

5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

今はイエス様から声をかけていただくことのできる恵みの時なのです。

Ⅱコリ

6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

祈り

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