2022年7月3日

説教題「あなたも選ばれています」

聖書箇所 ルカ10:1~11、16~20

10:1 その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。

10:2 そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。

10:3 さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。

10:4 財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。

10:5 どんな家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。

10:6 もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。

10:7 その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。

10:8 どの町に入っても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。

10:9 そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた』と言いなさい。

10:10 しかし、町に入っても、人々があなたがたを受け入れないならば、大通りに出て、こう言いなさい。

10:11 『私たちは足についたこの町のちりも、あなたがたにぬぐい捨てて行きます。しかし、神の国が近づいたことは承知していなさい。』

10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です。」

10:17 さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」

10:18 イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまの

ように天から落ちました。

10:19 確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。

10:20 だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」

おはようございます。先週は山の街キリスト教会で礼拝を捧げました。場所は違っても同じ主を礼拝できることの恵みを覚えました。

毎日暑い日が続きますね。皆様の体調はいかがでしょうか?記録的な猛暑の中で熱中症もたくさん報告されています。屋外ではマスクを外してOKです。と通達が出ています。

私は毎朝、浜寺公園までウォーキングをしていますが・・・・朝の時間はマスクを外している人は多い。浜寺公園でも半数以上マスクを外しているように思います。運動している人が多いですから。

しかし、町の方に来ると皆さんマスクをしています。なんかしてなかったら悪いみたいな雰囲気です。そして暑い、息苦しい・・・皆さん思っていてもなかなかノーマスクは勇気がいる感じです。

まわりと違う事をすると責められるような・・・同調圧力が強いし、日本人はいつマスクを外せるのかと思います。

さて今日の聖書日課です

10:1 その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。

イエス様はここで70人の人たちにイエス様の働きを代わりにさせます。

新改訳聖書では70人ですが、共同訳では72人になっています。口語訳も72人です。

この人数の違いはあまり気にしないでいいと思います。新改訳2017では72人になっているので今は72人説が優勢かと思います。どちらにせよ多い人数です。

実は9章の初めにイエス様は12弟子を宣教に遣わしています。

9:1 イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。

9:2 それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされた。

12弟子の活躍は9章の中で見られます。それとは別に今回は70人を遣わしたのです。

70人の派遣の記事はルカ福音書だけに書かれています。

私は、このことはすごい事だと思います。

話は変わるかもしれませんが、私は小学生の頃、草野球のキャッチャーをしていました。中学に入ると野球部に入ろうと思っていました。当時は、野球部は大人気クラブ。サッカーなんかはなかったですから、ダントツの一番人気でした。みんなが野球部に入ってもレギュラーは9人です。その他の人は補欠、球拾い・・・声出しです。三年間でずっと試合に出られずで終わる子もいっぱいいます。

高校野球の名門高校でもそうです。部員が70人ぐらいいる学校もあります。でもベンチ入りは15人、先発メンバーは9人です。その他の子は3年間ずっと補欠、球拾い、応援・・・声出し・・・

私は、中学に入って眼鏡をかけたし、鈍足、肩も弱かったし・・・・どうにもレギュラーにはなれそうもないので、レギュラーになれそうなマイナーな剣道部に入りました。

ですからずっと、今でも野球部の人には劣等感を持っています。野球部でいたと聞くだけで尊敬します。

しかも三年間試合に出ることもなく頑張った人にはよけいに尊敬します。

イエス様は9章で12人の使徒たちを選んでイエス様の代わりに派遣しました。

使徒たちですから、まさにレギュラーです。花形選手 彼らが遣わされて・・・ほかの人たちはイエス様のお手伝い。

ところが今回は別に70人が選ばれて出かけることになったのです。

たぶんこのころイエス様の弟子たちの群れはまだ小さい群です。そこで70人は、まさに今までイエス様の弟子としておそばについてきていて、たいして活躍していない。まさに名もない弟子たちが選ばれたのです。画期的です。

私達もイエス様の弟子として、とても使徒たちのようなレギュラーではありません。名もない補欠の弟子たちです。でも今日イエス様からお声がかかってイエス様の働きをできるのです。

堺育麦キリスト教会も呼び出されているような気持がしてこの箇所を読みました。

イエス様がこれから行こうとしているすべての町や村に二人ずつお遣わ

しになられた。

この時はユダヤの町や村ですが、イエス様はやがて全世界に出ていき福音を伝えなさいと言われる・・・その予行演習みたいな感じです。

イエス様の最後の言葉

16:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

この言葉と繋がります。

私達はイエス様の福音 良き知らせを全世界に伝える使命があります。70人では足りません。イエス様を待っている人はたくさんいるのです。

いま、まさに実践経験もない、無名の弟子たちがイエス様に選ばれて出かけていきます。

二人づつの組で出かけていきます。二人組と言うのは聖書でもよく出てきます。まあ原則みたいなものです。二人で出かけるのはいろんないい事があるんです。一人ではできない事が出来る事があります。

知らないお家に訪問する時・・・・一人では勇気が出ない事も二人ならできることがあります。勇気が出ます。

私は良く家内と一緒に出掛けていました。大体しゃべるのは私ですが。家内と一緒にいることによってお相手の方が心を開いてくれることがあります。例えばお見舞いに行くとき。私は割と元気です。皆さんもそうでしょうが自分が病気でつらい時・・・・元気な人が来て、どんなに慰めを語ってくれたり、祈ってくれてもうっとうしく感じる時もあると思います。

見舞に元気な人は向いてません。家内はいろんな弱さを知っているので、そこでいるだけで。手を握るだけでお相手の方に伝わることが、何回もありました。二人で行くというのは、一人とは違うパワーを生み出すのです。

自分が役に立つ人間だ!自分一人で行ける!!と言う傲慢ではなく・・・・自分の弱さを認め二人で祈りながら出かけていくことに大きな恵みがあると信じるのです。

変な話、家内が亡くなってからたくさんの人が奥さん優しかったですよね。

あの時来てくれて嬉しかった・・・・とよく言われます。私も一緒にいたんですけど・・・・と思いますが家内の方が心に残っている・・そんな事があるんです。

イエス様は、一人でなく二人づつ組になって出かけるように言われた。これは大切な事ではないでしょうか?

10:2 そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。

70人でも足りない・・・働き人はもっともっといるんです。私達へのチャレンジ

12人以外の使徒たち以外のいわば補欠みたいな弟子たちみんなを借り出して、イエス様の代わりに出かけさせても。宣教の働きに送り出しても・・・・。

イエス様を待っている人はたくさんいるのです。収穫とはイエス様を待っている・・救いを待っている・・求めている人たちです。

その人たちはたくさんいるのです。

それは今も同じです。

まさに70人でも足りないのです。

10:2 そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。

この祈りはいつも私たちの祈りです。

働き手を与えて下さい。それはあなたが働き手になる事であるかもしれません。

ここから派遣される者たちへのイエス様の言葉、指示、励まし、注意点、心構えが語られます。

10:3 さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。

これはマタイ福音書でも10章で12弟子を送り出される時にも書いています。

10:16 いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。

10:17 人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。

10:18 また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。

10:19 人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。

イエス様の代わりに遣わされていくのは簡単ではないことがわかります。現代でも福音を伝えていくとき困難は多いと思います。

10:4 財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。

これは極端な命令です。とにかくイエス様の福音を伝えることを最優先にしなさい・・・財布も旅行袋も持たずに・・・靴も履かずに行きなさいとは、全く普通の旅行とは違います。道であいさつしてはいけませんと言うのも・・・不愛想と言うよりも挨拶する時間も惜しんで行きなさいという事でしょう。

これはこの時の特殊な命令であります。今の時代も10:4 財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。

という事はありません。

ルカ福音書でイエス様が十字架にかかる前の言葉では

22:35 そして彼らに言われた、「わたしが財布も袋もくつも持たせずにあなたがたをつかわしたとき、何かこまったことがあったか」。彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。

22:36 そこで言われた、「しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい。

そして言われます。

10:5 どんな家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。

10:6 もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。

10:7 その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。

10:8 どの町に入っても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。

10:9 そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた』と言いなさい。

その村に入ったらどこかの家に入って

そこを根拠にする。ホームとする。そこにお世話になって働きをするのです。これも神様の導きと信じてお世話になるのです。私は、これは大事な事だと思います。ちょっと気に入らないことがあるかもしれませんが、それでもそこに留まる。ある意味教会だってそうかもしれません。全てが気に入る事ばかりではないかもしれません。でも渡り歩くのはあんまりみこころではないと思います。信じて信頼していく中でいい道も開けてくるのです。私は病院の先生も信頼します。信頼していくと道が開ける。不信ばかり持っていると相手も不信感があり、うまくいかない事をよく見ます。私は結構何でも導きを信じて、一人の人に信頼することが多いです。これがいつも正しいとは言えませんが。それでよかったと思う事の方が人生の体験の中ではあります。まあ人それぞれですが・・・・・私は前の教会を離れて最初に行った教会 堺育麦キリスト教会が主の与えられた教会だと信じて集いました。(まあいろいろ捜すのも、それは間違いではないと思います)

私は昔、現場の寮に住んでいました。岡山の水島、下関、福山、佐世保・・・すると食事は寮母さん(寮のおばちゃん)が一人で作ってくれます。すると料理の上手なおばちゃん(私の口に合うおばちゃん)の現場は食事が楽しみですが・・・料理の下手なおばちゃん(私の口に合わない)おばちゃんの寮もあるのです。私の苦手なチキンがいっぱい出てきたり・・・・もう食べる気がしないような寮にいる時は食事が苦痛です。

10:7 その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。このみ言葉にその事を思い出しました。

10:8 どの町に入っても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。

これって簡単に書いていますが・・・・なかなか大変な事もあるんですよ。

沖縄の豚足みたいなものを出されて・・・これは美味しいんですよ。と言われたら・・・・もっとグロテスクなものを出されたら・・・・テレビの行ってQなんかで未開の地に行って、現地の人がごちそうだと言って出されたら・・・・喜んで食べなさいと言われます。

その人の価値観の中心に食べ物もあるので、それを共に食べる事には大きな意味があると思います。

しかし、勇気と度胸もいりますねえ・・・

そして病人の人に祈る。神の国が近づいたと宣言する。

これも勇気と信仰が要ります。二人で祈って頑張りましょう。

牧師の私でも、いまもう死にそうな人に対して、たとえ死んだとして福音を信じて下さい。これよりも大事な事はありません。と語ることは祈りが本当に必要です。

そんな事はいらん。今は痛いんじゃ・・・・苦しいんじゃ・・・あなたの話は聞きたくないという方もおられます。

でも心開いて祈って欲しいという人もおられます。それは牧師でなくても皆様でもできる事であります。

もし聞いてくれない時は・・・・ああ私が悪いんだと落ち込まなくていいです。あなたは言うだけの事は言ったんです。後は受け取る人の責任です。

ちょっと気が楽になります。

全部しょい込まなくてもいいんです。人の救いは人間の能力や努力でなるのではなく、神様の力、憐れみの中でなるのです。

10:10 しかし、町に入っても、人々があなたがたを受け入れないならば、大通りに出て、こう言いなさい。

10:11 『私たちは足についたこの町のちりも、あなたがたにぬぐい捨てて行きます。しかし、神の国が近づいたことは承知していなさい。』

そして少し飛んで16節

10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です。」

70人は一生懸命。イエス様のお手伝いをしました。無名戦士も頑張ったのです。そしてたくさんの恵みがあって帰ってきました。

行く前は不安もいっぱいあったでしょうが・・・喜んで帰ってきたのです。

10:17 さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」

イエス様の手伝いに出かけていった者たちが帰ってきました。喜んで帰ってきました。イエス様の手伝いができた事。嬉しいと思います。教会でも何が嬉しいと言って・・新しい人が教会に来ること・・・イエス様を信じる人がある。洗礼を受ける人がある。弱っていた人が元気になって礼拝に来られるようになる。きっとイエス様が喜んでおられると思うと私達に喜びがあります。これは絶対にそうです。

10:17 さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの

御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」

もう彼らは、イエス様こんなことがありました。聞いてくださいイエス様こんな素晴らしい奇跡のような事がありました。私が祈ったら、イエス様の名で祈ったら悪霊さえ言う事を聴くのです。と報告します。

この時は、彼らは驚きの体験をいっぱいしたんでしょう。ちょっとわかります。現代でもイエス様の御名で祈る時、奇跡と思うような事が起こることを体験します。

昔、家で子供たちを集めて教会学校をしようと示されて、近くの公園に行きました。子供たちにとったら見も知らないおっさんです。声をかけても誰もついて来ません。ちょうど草野球をしていました。やわらかいゴムボールです。おっちゃんも打たせて!と言って打席に立ちました。私はそんなに打てる方ではありません。でも今は子供たちと友達にさせて下さいと祈りながら打ちました。そしたらなんと・・・もうびっくりするぐらい富んだんです。近所の団地を飛び越えて行きました。子供たちも驚いて私ははスーパーヒーローになりました。今考えてもあれは奇跡的だったと思うのです。そこから子供会が始まりました。

今回私が剣道七段になれたのも、まさに神様の力だと奇跡だと私は思います。それは剣道関係の方々に福音を語りやすくされていると思います。

そうしたら、ちょっと誤解も始まります。私には祈る力、癒しの力があるんじゃないか・・・・と思ったりする人も出てくるのです。

自分の力で奇跡を起こしたような傲慢になる人も出てきます。

イエス様はここで彼らに言います。それはここにいるイエス様に選ばれたクリスチャンたちにも言われます。

確かに背後にイエス様が働いているので、驚きべき事が起こることもあるでしょう。

でもそれを誇るのではなく

自分が救われていることを喜びなさいと言われるのです。

10:18 イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。

10:19 確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。

10:20 だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを

喜びなさい。」

イエス様の名によって祈る時。驚くべきことが起こることがあります。私も必死で祈る時。病気の人が癒されたり・・・物事が信じられないくらい解決したりすることを体験することがあります。

その時、自分の信仰が何かをしたように考えることのないように・・・主からの警告です。

10:19 確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。

10:20 だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」

ただあなたの名が天に記されている事 救われている事それを喜ぼうではないですか。

今日のところをまとめてみますと

① これはすべての人、日頃表舞台に出ていない人。牧師、伝道者だけではないまさに総動員の試みの時です。

② これはある意味特別な期間、特別な命令です。でも今の私達への予行演習みたいな宣教命令です。

③ 実際に私達が出かけていくとき、収穫は多いが働き手が少ないというのを痛感するのです。そして働き手を送ってくださいと言う祈りは痛切になりますし、あなたがその働き手になるようにとのチャレンジがあるのです。

④ 出かける時の注意点が語られました。これは今も大いに参考になるのです。

⑤ 私達の働きの背後にはイエス様がいるのです。私達だけで出かけているのではないのです。あなたはイエス様から任命されているのです。

ヨハ

15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与

⑥ 私達は働きを誇るのではなく、私たちの救い、天に名が記されている。その事に感謝する。喜ぶ、それが一番の原点です。

⑦ 今私たちは和解の使節として、お一人一人が、あなたしか届かないところに遣わされているのです。喜びを持って今週も出かけていきましょう。

Ⅱコリ

5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。

これを伝えていく使節として派遣されているのです。

祈り

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