2022年5月22日
説教題「助け主がいます」
聖書箇所ヨハネ14:23~29
14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
14:24 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。
14:25 このことをわたしは、あなたがたといっしょにいる間に、あなたがたに話しました。
14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
14:28 『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。あなたがたは、もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。
14:29 そして今わたしは、そのことの起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったときに、あなたがたが信じるためです。
おはようございます。
金曜日に、耳原総合病院で、エコーと胃カメラの検査に行きましたが、胃カメラは麻酔をするという事で初体験 既に体験している方もあると思いますが。
ちょっと興味津々・・・・どうなるかな?と思っていたら説明があって・・・・20万人に一人は死にます。でも滅多にない事ですから気にしないでください。
あんまり聞きたくない情報を聞いて
静脈の点滴をして・・・眠くなりますからね・・・電気を消してくれて
気がついたら・・終わってました。
すごい技術です。
時代は進んでいるんだと実感しました。
こんな時代は、科学はどんどん進んでいますが、聖書の言葉は今も色あせない事にも驚きです。それは聖書が人間の本質的な事について書かれているからです。
今日の聖書日課に入ります。
今日の聖書箇所の背景を説明します。ヨハネ福音書の13章から17章は最期の晩餐の席上でイエス様がなされた、弟子たちに対する告別の説教です。
ヨハネは、マタイ、マルコ、ルカの福音書よりかなりの多くの分量を費やして最後の晩さんでの説教を記しています。
13章については先週、金兄から詳しく学ばせていただきました。
13:1~20 イエス様が弟子たちの足を洗った話
ヨハ
13:14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。
13:15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。
イスカリオテ・ユダの裏切りの予告13:21~30
そしてユダが出ていきます。
13:30 ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。
イエス様はご自分が父の御許に行くことについて弟子たちにサイゴン教えを語られるのです。13:31~14:31
まず新しい戒めが語られます。
13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
この後、どこまでもイエス様について行きますとのペテロに対して、ペテロがイエス様を否認することが予告されます 13:36~38
13:37 ペテロはイエスに言った。「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」
13:38 イエスは答えられた。「わたしのためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
地上を去る日が近い事を聞かされた弟子たちに、心を騒がしてはなりませんと励まされます。
14:1 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
そして父の元に行くには私を通していくのですとの有名な御言葉が語られます。
14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
この流れの中で今日の聖書日課に入ります。
イエス様はもうすぐ天に昇ります。父なる神様の元に行きます。しかし、安心してください。あなた方には助け主 聖霊様が来られるのですとの約束であります。
14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
14:19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。
14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
イエス様が天に挙げられた後私たちに助け主聖霊が与えられる事を知っていてください。
14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
そして私たちには言葉に言い表せないほどの、世が与えるのとは違う平安が与えられると約束されています。
14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
聖霊がやがて与えられる事を前もってあなた方に伝えておくのですとの予告で
す。
14:29 そして今わたしは、そのことの起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったときに、あなたがたが信じるためです。
これが今日の聖書日課の流れ・・・・イエス様の最後の説教の中で、とりわけあなた方に、助け主聖霊が与えられますよ。だから心騒がせずに待っていなさいと言われるのです。
そして弟子たちはその聖霊を待ちましたが、今、教会に来ている皆さんはもう助け主・聖霊様が与えられているのです。
今日はイエス様の最後の説教の中でやがて来る助け主 聖霊様の事について書かれている14:26を中心に学んでいきます。
14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
① 助け主
聖霊は助け主と訳されています。新改訳聖書では
ヨハネ福音書だけです
14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
15:26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。
16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
イエス様が天に昇られていなくなった時に私達のところに来てくれて私たちを助けてくれる方。
② 聖霊は三位一体の第三位格
父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、 このことばに
③ 聖霊様の働き
教える
思い起こさせる
イエス様を明らかにする。
聖霊様が単独に動かれるのでなく 一番大事な働きは、私達にイエス様を見せてくれる
聖書をわからせてくれる
聖霊の働き みわざ (聖書教理ハンドブックより)
1. 聖霊はキリストを高める。 16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
16:14 御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです
2. 聖霊は人間に罪を認めさせる 16:8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
3. 聖霊は聖書を教えてくれる 聖霊は神の言葉が教えていることを、人間が味わい、理解し、識別することができるようにする。
その聖霊様の働きによって私たちは平安を得るのです。
14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
聖霊は助け主・・・・・っていうことはどんなことでしょう?
わたしを助けてくれる方・・・・
ヘルパーさんみたいなことかな?
ヘルパーさんて私の助けをしてくれます。父の介護をしている時、私一人ではできない事があります。一人で全部やったらいつか倒れてしまいます。
そんな事を体験しました。その時ヘルパーさんに助けていただく。
それは私が中心です。私の思うようにヘルパーさんに助けてもらう。私がやろうと思えばやれない事はないけれども、時間も体力もないので代わりにやっていただく・・・・。それが助け主 ヘルパーさん。
それだと、自分が中心です。自分の気に入るように動いてくれなかったら私はイライラします。納得できません。文句を言いそうになります。
でも父のヘルパーさんは・・・・私に全くない所・・・私の足りないところ・・・気が付かないところをして下さいました。
その場合、私は助け主、ヘルパーさんを支配しているのではなく・・・まさに助けられて共に歩んでいる・・同志と言う感じでした。
わたしも一生懸命やるけれど、私にできない事、足りないところをヘルパーさんの考えも入れて動いて下さる。
ただ最終責任は私にあり、私と共に歩んでおられる。
こんな感じかなと思います。私の助け主、聖霊様の働きです。
そしてイエス様が天に昇られた後、私と共に歩んでくださる聖霊様、助け主はどんな方なのでしょうか?
一番大きなことは、私はイエス・キリストを指し示してくださる方。それも聖書を通してキリストを教えてくれる方だと考えます。
聖霊様が意志があるからと言っても、今日は神戸に行きなさいとか、明日は京都にとかそんな指示をする方ではなく・・・
聖霊様は、私と共に歩んでくださり。最終責任は私にあり・・・しかし私に足りないところ、弱さ、できない事を助けて下さる。
その方法は聖書のみ言葉を通して私に教えて下さる。
そんな方だと信じます。
14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
そして聖書のみ言葉を通して、イエス・キリストを見せて下さり、イエス様の教えを私の心に語って下さる。
み言葉を思い起こさせてくださる。そんな働きをされるのです。
そしてその時、私の心には不思議な平安が与えられるとの約束があるのです。
14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたし
の平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
具体的に私の証しとして聖霊様が助け主であることをお話いたします。
皆様はそれぞれ違いますので、私と同じ方はいないと考えますが、その基本的な原理は同じだと考えています。
み言葉をわかるように・・・私の心に教えて下さる。それは聖霊様、助け主の働きなのです。
私のメールアドレスには1cor1013と言うのが入っています。これは第一コリント10章13節という事です。
みことばは
10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
非常に有名な御言葉です。水泳の池江里佳子さんがガンになった時、この言葉を言われていました。
私がこのみ言葉に出会ったのは、クリスチャンになったばかりの頃でした。
私は、会社に入った時が、中国・九州地方を管轄する下関支店に配属になりました。建設会社で、全くの新人の頃からそこで育てられました。7年ほど、九州方面を中心に働いていました。結構九州の言葉も慣れてきました。
長男ですのでいつかは両親の面倒を見ようと思うと、四国は大阪支店になっているので・・・大阪支店に転勤の希望を出しました。九州では現場も任され、主任みたいな立場でした。それで大阪支店の同じくらいの人と交代で宮崎から大阪にやってきました。
新婚の時でした。まあ結構仕事に自信もあったので大阪でもやっていけると思っていました。
ところが大阪に来てかなりカルチャーショックを受けました。
九州の人は、「よか!」とか男らしい感じであんまり腹に一物はない。正直な感じ。ところが大阪に来て・・・もうかりまっか。まあぼちぼちでんな・・・まいど・・・とかいう言葉はなんか本心ではない。言ってることと腹とは違う感じ・・・生き馬の目を抜く都会に来たわけですから・・・慣れませんでした。
しかも私は勘違いしていたんですが・今まで仕事ができていたのは、自分が新人の頃から私の失敗も認めながら・・・育ててくれた人間関係がありました。ところが同じ会社なのに大阪支店では知っている人が誰もいないのです。一応名
前は知っていますが・・自分の新人の頃からの事を知っている人がいない。気を許して話しできる人がいない。しかも人間関係もない。私は主任。
もう現場を任される・・・誰に何を聞いていいかもわからない・・・・。
これはとんでもない事になったと不安になりました。
そんなころ教会に行って・・・この聖書の言葉に出会いました。
10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
その時、あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません・・・・確かに仕事で転勤する人なんかたくさんいます。そこでなれなくて苦労している人もたくさんいます。豊島。お前ひとりが苦しんでいるんではないよ・・・と示されました。これって人から言われても「そうか」と思うかもしれませんが・・・聖書から教えられたのが私にとって大きな感動でした。
聖霊様が聖書を通して私に教えてくれているんだと思います。初めて自分に与えられたみ言葉でした。なんか聖書がそこだけ輝いて見えました。
そして脱出の道もあるという言葉に大いに力づけられました。今私を見て関西人と思う人が多いです。すっかりなじんでいます。(笑い)
その後、このみ言葉は私の人生に度々力を与えてくれています。
皆さんも人生にいろんな試練、ご苦労は多い事と思います。ですから私だけが苦労しているのではないのですが・・・・・
もうだめかと思う事も何回もありました。
全くお金がなくて、途方にくれる時もありました。
私は、このみ言葉をいつも握りしめていました。
このみ言葉を読むと、聖霊様が働いて聖書を理解させてくださり・・・私のために死んでくださったイエス様を教えて下さるんです。
その時、すぐに脱出の道なんかないですし・・・・・途方にくれても…不思議な平安と力を与えてくれるんです。
14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
これはただの思い込みとは違うと信じます。人生で何回も何回もこのみ言葉に
力を与えられていくとき、このみ言葉は私に力を、平安を与えてくれます。
不思議な平安で それはたとえうまくいかなくても、それでも良しと言えるような不思議な平安を与えてくれるんです。
イエス様は今、天に昇り私たちとは実際に会えなくても、見えなくても・・・イエス様は約束してくださった助け主を私に, ここにいる皆様にお一人一人に与えてくださっているのです。
多くの場合は、み言葉を通して私たちに語ってくださいます。
それは毎日のデボーション・・・祈りの時、礼拝での説教・・・・誰かから与えてくれたみ言葉・・・・・聖霊様の働きはみ言葉を媒介として私たちに語りかけてくださることが多いのです。
私はそう信じます。
10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
お一人一人にイエス様が働いてくださいます。
14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
私たちに与えてくださっている聖霊様は、あなたの助け主として・・・それはあなたの大切なヘルパーさんとして、あなたの命令で、あなたの管理下で働かれているヘルパーさんではありません。あなたの足りない所きがつかないところも助けて下さり・・あなたと一緒に歩んでくださる方です。
聖霊様は、私達にすべての事を教えて下さいます。
とりわけ、一番大きなことは。神様の事、霊的な事をわからない、生まれながらの人間であるあなたに働かれ
聖書をわかるようにしてくださいます。
イエス・キリストを教えて下さいます。
イエス様があなたにとってどんな方かを教えて下さいます。
イエス様の事日々、聖書を通して教えて下さるのです。
その仲立ちは聖書の言葉です。聖書のことばを通して私たちを導いてくださるのです。
聖書の言葉と関係のないところで私たちを導かれるなら、それは私達の自我や欲求、サタンの誘惑かもしれません。
私は今日は例話として第一コリント10:13をあげました。私の生涯の聖句です。
でもこれだけじゃないですよ。
皆さんもそうだと思います。人生のいろんな場面で
み言葉を通して・・・いろんなみ言葉を教えられて・・たくさんのみ言葉に導かれていくのです。
その背後には聖霊様の働きがあるのです。私達を助けて下さっているのです。
そして、その聖霊様の助けの中で私たちは不思議な平安を得るのです。
14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
今日の箇所ではイエス様が最後の晩さんの中での告別の説教です。もうすぐイエス様はいなくなります。私達の目には見えなくなります。
でも大丈夫 助け主なる聖霊様が来てくれますから
その事を覚えていてくださいと言われます。
聖霊が与えられる事を楽しみにしていてくださいと言われます。そして今の時代はその聖霊様が私達の助け主として来てくださっているのです。
14:29 そして今わたしは、そのことの起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったときに、あなたがたが信じるためです。
あなたはそれを信じて下さい。
14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
祈り