2022年4月3日(日)
説経題「みんなちがって、みんないい」
聖書箇所 ヨハネ12:1~8
12:1 イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
12:2 人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。
12:3 マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
12:4 ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。
12:5 「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
12:6 しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。
12:7 イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。
12:8 あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」
おはようございます。
四旬節の第五主日です。
今日の箇所は、過ぎ越しの祭りの六日前とあります。過ぎ越しの祭りと言うのはユダヤ教の中で最も重要な祭りです。旧約聖書の出エジプトをする時、エジプトの国からイスラエル民族をエジプトの王様(パロ)がなかなか出してくれない時、神様がエジプトにたくさんの災いを起こします。その最後の災い(10個目です)
エジプトの地にいるすべての初子が死ぬと言う災いです。それを逃れるには各家で羊を屠り、その血を家の玄関の鴨居に塗りなさい。その血がある家は災いが過ぎ越すとの神様の約束で
イスラエル人たちは皆そのようにして・・・・・エジプトを脱出しました。その事を記念して過ぎ越しの祭りが守られてきました。
この過ぎ越しの祭りにはユダヤ全国から信仰深い人たちが礼拝にやって来てい
ました。
ルカ
2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。
そしてイエス様の十字架はこの過ぎ越しの祭りの中であります。
イエス様の受難がまさに近い・・・その6日前でした。
12:1 イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
ベタニヤと言うのはエルサレムの南東3kmと言いますから本当にエルサレムに近い小さな村です。
そこにはつい先日死んで、生き返ったラザロがいました。ヨハネ11章での出来事です。人々はイエス様に会いたいのもありますが、墓から生き返ったラザロを見たいと言う気持ちもあってたくさんの人が来ています。
ヨハ
12:9 大ぜいのユダヤ人の群れが、イエスがそこにおられることを聞いて、やって来た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死人の中からよみがえったラザロを見るためでもあった。
この家は、
マタ
26:6 さて、イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられると、
とありますから、シモンと言う人の家で、晩餐が用意されて・・・マルタが忙しく働いていました。そして客の中に死んで生き返ったラザロもいました。
イエス様はこのマルタとマリヤとラザロのこの家族をとても愛していて、ベタニヤに来る時はこの家に来ていました。
ヨハ
11:5 イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
そして
12:2 人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。
マルタはやっぱり忙しく立ち働いていました。このマルタは別の箇所で
ルカ
10:38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
10:39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
10:40 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
10:41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
10:42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
こんなことがありました。
そして今日この時、今日の聖書日課に戻りますと・・・・マリヤは、イエス様に香油を塗るのです。
12:3 マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
聖書にマリヤと言う人はたくさん出てきます。聖書ではマリヤと書かれているので混乱するかもわかりませんのでマリヤさんの整理をしておきます。
1. イエス様の母 マリヤ 一番有名です。
2. マグダラのマリヤ 特にイエス様の復活の時に最初にお会いしたマリヤです。
3. エルサレム近くベタニヤ村に住んでいたマリヤ 今日のマリヤです。
4. マルコの福音書を書いた、マルコの母マリヤ
5. ヤコブとヨセフの母マリヤ ヤコブは12弟子のひとり。小ヤコブとも言われています。このマリヤはもう一人のマリヤとも呼ばれています。
イエス様が十字架にかかられた時、墓に葬られた時、墓に油を塗りに行った時。
マタ
27:55 そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。
27:56 その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。
マタ
27:60 岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石を
ころがしかけて帰った。
27:61 そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。
マタ
28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
という事でイエス様の母マリヤ、マグダラのマリヤ、他のマリヤはイエス様と行動を共にしていたマリヤさんです。
今日のベタニヤのマリヤさんとは違うマリヤさん。マリヤばかりでこんがらがりますが・・・
「聖☆お兄さん」と言う漫画では、イエス様と仏陀が現代に生きているのですが・・・
イエス様の携帯電話の中に、マリヤと言う名がいっぱいあって、注釈がついているのが面白かったです。
このベタニヤ村のマリヤさんは、イエス様と一緒に旅するというような行動的な人でなくて、小さな村に住んで・・・静かにイエス様のお話を聞く・・・そんな静かな感じのマリヤさんです。
しかし、今日はナルドの香油300gをイエス様に塗ると言う大胆な行動に出たのです。
この香油は300デナリすると言われています・・ 1デナリが一日の賃金と言われていますから当時の労働者の年収です。
たぶん日頃外で働いていない女性にとって・・・これは莫大なお金の・・一家の宝物みたいなものでしょう。マリヤさんのお家が裕福とは思えません。
普通はちょっとつけるくらいでしょう。・・マルコの福音書ではつぼを割ってとありますから。それを全部塗ったのですから豪華なものです。
もう部屋中が香油の香りでいっぱいになったんです。
イエス様を裏切ったイスカリオテのユダが、その行為を責めます。ユダだけでなくその他の人も驚いたでしょう。
きっとマルタやラザロにも相談なしにしたと想像します。
12:4 ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。
12:5 「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
こう言う人は現代にでも良くいます。なんともったいない、そんなお金があったら困っている人に施したらいいのに・・・・人助けに使えるのに・・・
と大きな声で言いますが
大体そんな事を言う人は、その人は貧しい人の事を気にかけているのではないのです。これはよく見ます。
12:6 しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。
そしてイエス様はマリヤの行為を褒められます。
12:7 イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。
12:8 あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」
並行記事はマタイマルコにもありますがマルコを福音書を読んでみますと
マル
14:3 イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓に着いておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。
14:4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。
14:5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。
14:6 すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。
14:7 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
14:8 この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
14:9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」
たぶんこの家にいたほとんどの人が驚いてしまったであろう事。ある人はもった
いない!!!なんということするんや!! ちょっと塗るだけでいいやろう!!!と批判もあったでしょう。
しかし、イエス様はそうではなかった。
マリヤの行為を褒められたのです。彼女は誰もすることができなかったイエス様の埋葬の用意をしてくれた・・・・これからイエス様がエルサレムに入り・・・やがて祭司長・・律法学者たちに捨てられ、殺される・・・・その埋葬の用意をしてくれたのです。このマリヤの行為はイエス様の十字架の死への最大の愛の行為なのです。と言われました。
マリヤはその意味は分かってなくてしたでしょう。彼女はイエス様への感謝と愛を持っての最大の、自分にできる最高のわざをしただけだったのです。
自分の兄弟ラザロを生き返らしてくれたことへの心からの感謝。そして人間の生死を超えたものを支配しておられる方。
ヨハ
11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
と言われたイエス様への畏敬の念。イエス様を神の子として信じての信仰のゆえに彼女は香油を塗ったのでしょう。
そしてイエス様は、このことはこれからも永遠に語られると・・・ものすごい賞賛をしたのです。
14:9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」
このベタニヤ村のマリヤと言う人は、イエス様の母マリヤ、イエス様といつも一緒に行動したマグダラのマリヤ、他のマリヤと比べると・・・イエス様とずっと一緒にいたわけでも、復活後の事についても聖書には出てきません。このマリヤさんが聖書に出てくるのは、イエス様を家に招いた時に接待をしているマルタさんの苦情と、イエス様の話をじっと聞いているマリヤさんの賞賛
ラザロの復活の話
今日の香油を注いだ話。 時間的にはイエス様と関わったのは少ないのですが、のちの私達への印象は深く残っています。それはイエス様が賞賛したからであると思います。
ここで今回、特に教えられた事ですが、マリヤさんの行動はある意味普通でも常識的でもありません。どちらかと言えば変わっています。
みんながマリヤさんみたいだったら世界は混乱するだろうとも思えるものです。
お客様をお迎えして接待しお世話をするのは当然ですし、常識です。特に女性だったら世間的になおさらな事でしょう。
しかし、マリヤさんはじっと座ってイエス様の話を聞いていた。
しかしイエス様は、このマリヤさんのしたことを褒められた。
「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
10:42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
このイエス様の言葉がなければ、私達はじっと話を聞いているマリヤさんを非難するかもしれませんが・・・この聖書の言葉によって・・じっと聞くことの素晴らしさを知ったのです。
今日の高価な香油を全部注いだマリヤさんの行為も常識からは考えられない事です。
でもイエス様はなんと。
14:9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」
と絶賛したのです。そしてそれは2000年にわたって、いやこれからも人々に覚えられているのです。
でも世界中の人がマリヤさんになっても困ります。
しかし、マリヤさんのしたこの愛の行為が、イエス様の言葉によって認められたのです。
この聖書の言葉によって普通は考えられないようなマリヤさんの生き方。
それも素晴らしいとイエス様が賞賛された。この故にマリヤさんは生きれたのです。
その意味で、マリヤさんのイエス様を愛する行為、信仰だけがほめたたえられて、私達もマリヤさんのようにみななりなさいと言われているのではないと思います。
しかしマリヤさんのなされた事。それはイエス様が私の目から見たら、世間が見る目、常識が見る目とは違うけれど素晴らしい事だと。いや普通よりもっと良い事だよ。とイエス様が太鼓判を押された。
この言葉により、マリヤさんは生きやすくなった。それまでは変わった人だと言われていたかもしれない。
彼女のすることは常識とは違う・・・・世間を驚かす事だった。ひょっとするとマリヤさんはそんな生き方をずっとしていた人かと思います。
でもイエス様によって最高の名誉を与えられた・・・・彼女は世界の歴史の中に記念として人々に記憶されているのです。
こういう生き方をイエス様が褒められた。
私は聖書を読まなかったらマリヤさんみたいな人を批判するだけのものだったと思いますが・・・イエス様の言葉で目が覚めたのです。
人は、変わった人を受け入れにくいものです・・・・自分と違う人を世間の常識と違う人を普通でないと決めつけて批判さえするものです。
しかし、しかし、ですよ。普通でない事の中に、新しい事はあるのです。初めは奇異に見えてもそれが世界を動かすこともあるのです。
最近。人気が落ち気味のプロ野球で、特に低迷していた北海道日本ハムの監督に新庄さん(ビッグボス)がなりました。これは大きな話題になりました。
私も最初はびっくりしました。こんなふざけた人が監督なんかできるのかな?と思いました。私の持っている価値観、監督への思いとはかけ離れていたからです。
ビッグボスはまったく普通ではない人です。
監督になってこの一年は優勝なんか目指しません。楽しく野球をやってお客さんに喜んでもらいます。
野球は勝ってなんぼ!勝たないと意味がない。と言う人からする、全く違う人。最近は連敗中で批判する人もあるけれど・・・・
私は今まで気にしなかった、日本ハムの成績を気にしています。今までフアンでない人も野球に興味を持ってくれていることは大きな事実です。
それにしても今までに全くないタイプで・・・・本当に驚かされています。
野球界のマリヤさんです。さっきも言ったようにマリヤさんばかりに野球界がなったら大変ですが・・・こんな生き方もあると思います。
イエス様はマリヤさんに言われたようにビッグボスも褒められるかと想像します。
美緒さんに教えてもらって、浜寺ステーションギャラリーで
先日光太郎ワールドと言う個展を観に行きました。
作者はなんと、小学校6年生(今度中学生) びっくりしながら行ってきました。
その子は小さいころから絵が好きで・・・勉強するより絵を描くのが好きで
授業中でもノートには落書きだらけ・・・テストの答案にも絵をかいています。
私はこのお母さんは本当に偉いと思うのですが
この子に・・・・絵を描くことをやめろとは言わず・・・勉強しなさいとは言わず・・・
画の好きな子を…じっと見守り・・・応援し・・小さいころからの落書きみたいなも
のもちゃんと残し・・・光太郎君と言うそうですが彼の絵をお母さんが好きになり、その才能を褒めて育てている姿・・・
確かに普通とは違う・・・変わっているけれど・それを認めて、寄り添って助けてあげている。
小学生が個展を開いてどこが悪い・・光太郎の世界を知って下さいと個展を企画しておられ。インスタグラムにも詳細に載せておられて・・・・すごいなあと感動しました。
この方もまたマリヤさんみたいです。
イエス様は、普通とか常識とか、この世間の目とか…そんな中に生きるのとは違う人の生き方も・・・その心の中にある素晴らしさを賞賛されました。
その賞賛によって、またマリヤさんも生きれたように・・・私達にもそれぞれ違った生き方があります。それもまたイエス様は愛され。
マリヤさんを愛したように、私達をも優しく導いて下さる。
そのために、罪の中にある私たちの救いのために・・・私たちの救いを完成させるために今、エルサレムに向かっておられます。十字架の受難は近いです。
マリヤさんは霊の導きで・・・誰もが驚き、非難するような中で・・・彼女なりにできる最高の奉仕。ナルドの香油をイエス様の受難の備えとして塗られたのです。
今日の説教の黙想の中で一番教えられたこと。それはイエス様は、みんなちがってみんないい。あなたもそのままで愛していますよ。と言うメッセージでありました。
有名な童謡詩人の金子みすゞさんの詩を読んでみます。
金子みすゞさんの詩で
私と小鳥と鈴と
私が両手を広げても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のように
地べたを速くは走れない
私が体をゆすっても
綺麗な音は出ないけど
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないと
鈴と小鳥と、それから私
みんなちがってみんないい
26:12 この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。
26:13 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」
フォースとペンギンという言葉があります。
「ファーストペンギン」とは、集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛びこむ1羽のペンギンのこと。転じて、その“勇敢なペンギン”のように、リスクを恐れず初めてのことに挑戦するベンチャー精神の持ち主を、米国では敬意を込めて「ファーストペンギン」と呼びます。日本でも、NHKの朝の連続ドラマでそのエピソードが紹介され、広く一般に知られるようになりました。
受難を目前にしたイエス様に、自分の尊い宝物をすべて捧げて愛の奉仕をしたマリヤさんは霊的ファーストペンギンのように思いました。
イエス様はそのマリヤさんを賞賛しました。
イエス様の言葉によりマリヤさんはどんなに喜びを与えられたでしょう。
しかし、確かにファーストペンギンだけが素晴らしいのではありません。それを見て、続いて飛び込むセカンドペンギンも素晴らしい・・・・・最後に飛び込むラストペンギンもイエス様は導いてくださるのです。
みんなが同じでなくていい。みんなちがってみんないい。
ベタニヤ村のマリヤさんはイエス様への愛が原動力となって、人とは違う事でも喜びの中でされたのです。人々を恐れずイエス様に香油を塗られたのです。
Ⅰヨハ
4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。
イエス様の愛の中に今週も生かしていただきましょう。
祈り