2021年7月18日(日)

説教題「弟子たちの日常」

聖書箇所 マルコ6:30~34,53~56

6:30 さて、使徒たちは、イエスのもとに集まって来て、自分たちのしたこと、教えたことを残らずイエスに報告した。

6:31 そこでイエスは彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい」と言われた。人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。

6:32 そこで彼らは、舟に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った。

6:33 ところが、多くの人々が、彼らの出て行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ徒歩で駆けつけ、彼らよりも先に着いてしまった。

6:34 イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。

6:53 彼らは湖を渡って、ゲネサレの地に着き、舟をつないだ。

6:54 そして、彼らが舟から上がると、人々はすぐにイエスだと気がついて、

6:55 そのあたりをくまなく走り回り、イエスがおられると聞いた場所へ、病人を床に載せて運んで来た。

6:56 イエスが入って行かれると、村でも町でも部落でも、人々は病人たちを広場に寝かせ、そして、せめて、イエスの着物の端にでもさわらせてくださるようにと願った。そして、さわった人々はみな、いやされた。

おはようございます。

頌子さんの事 検査も終わって、明日、今後の治療方針についての話し合いがあるそうです。頌子姉のために付き添いされる方のために、良き導きが与えられるようにお祈りしましょう。頌子姉は昨日のポールウォーキングにも来てくださってお元気なので励まされています。

若野さんの事 引き続き入院中です。週報や説教などは郵送しています。平安がありますようにお祈りください。

昨日のポールウォーキング

自粛が続く中で3月以来の久しぶりの時でした。新しい方も来られたり、皆さん対面で会う事、話をすることができる喜びがありました。

父の事 皆さんのお祈り感謝です。今日も笠原さんに連れてきていただいて礼拝に出席出来ています。

さて先週はイエス様の先駆けとして・・人々の前に神様の元に帰るように悔い改めを説いたバプテスマのヨハネさんの最後を聖書から見ました。

皆さんはこの聖書箇所の中から何を学ばれたでしょうか?

ヘロデ王の煮え切らない態度 この世に軸足を置いて、イエス様の事を知りたいと願いながらもついに信仰へと導かれなかった姿。

ヘロデヤのように全く信じられないような悪い女。どうしてこうなったのか???

そしてこんな人は確かにいることも思います。

本当に理不尽な最後を遂げたバプテスマのヨハネさん。彼の目にははっきりとイエス様が見えていたと信じます。

そのヨハネの遺体を引き取った弟子たち・・・・

もういろんなことを思うと、聖書の世界の中に引き込まれてしまいました。

そしてそれが現代の私たちに何を語っているか???

そんな事を考えさせられた一週間でした。

まあ。聖書の世界だけを考えているのではなくて

大谷翔平君の活躍も毎日楽しみにしていま。

オールスターのホームラン競争や先発で160kmの速球を連発!

それが大リーグでの活躍ですから、本当に興奮しました。アメリカでも大谷君の人気は今や一番 81人オールスターに参加していたのにグッズの売り上げの3割は大谷選手だったそうです。

さて今日の聖書日課に入ります。

6:30 さて、使徒たちは、イエスのもとに集まって来て、自分たちのしたこと、教えたことを残らずイエスに報告した。

ここで、さてとありますのは・・・その前のバプテスマのヨハネの死、遺体を引き取った弟子たちの話とは繋がっていません。

さて、使徒たちは6:7~13に繋がっています。

マル

6:7 また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。

6:8 また、彼らにこう命じられた。「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻に金も持って行ってはいけません。

6:9 くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。」

6:10 また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまっていなさい。

6:11 もし、あなたがたを受け入れない場所、また、あなたがたに聞こうとしない人々なら、そこから出て行くときに、そこの人々に対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」

6:12 こうして十二人が出て行き、悔い改めを説き広め、

6:13 悪霊を多く追い出し、大ぜいの病人に油を塗っていやした。

12人の使徒たちは二人ずつ組みになってイエス様と離れて旅に出たのです。

その働きは人々に悔い改めを説き広め

神様から心離れて生きている人々に神様に立ち返るように教えた・・・

悪霊を追い出した・・・・病人に油を塗って癒した・・・

まさにイエス様がしている事を代わりに行ってきたのです。

これって心細くなかったでしょうか?勇気がいったのではないでしょうか?

その注意事項はかなり強烈です。

6:8 また、彼らにこう命じられた。「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻に金も持って行ってはいけません。

6:9 くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。」

これはかなりの修行というか荒行です。

旅のためには杖一本のほかは何も持たない食べ物も持たない。お金も持たない。靴は履きなさい。下着も二枚着てはいけません。

全てを神様に委ねて旅しなさい!!!信仰を持っていきなさい!!という命令です。

イエス様と一緒についてきただけの弟子たちにとって大冒険ではなかったでしょうか?

イエス様から汚れた霊を追い出す権威を与えてくれての出発です。

6:7 また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。

ここを読んでいて、私が高専の寮でいるころの冒険旅行を思い出しました。どういう話からそうなったのかは思い出せませんが。

寮の友達で三日か四日の休みがあって、みんなで無銭旅行をしようという事になりました。それが信仰とは関係ないのですが、今日のシチュエーション(状況、場面、立場)が似ているなあと思い出しました。

二人ずつ組みになって好きなところに向かって無銭旅行をするという事です。

何にもお金は使うな、食事代も誰かにおごってもらえ、お金は使うな。できれば野宿、テントで寝る。 イエス様の命令とは違うので、一応何かあった時のためのお金は、少しは持っていってもいいが。とにかく無銭旅行、ヒッチハイクで冒険旅行をしようという計画でした。

五組くらいで寮から出発しました。みんな初めての事。

ヒッチハイクも話では聞いているけどしたことはありません。

それでも若さですかね・・・・行きました。

最初に国道まで出て、車を停めようとしても止まってくれません。恥ずかしいし、自信はないし・・・だから、よけい車も止まってくれません。

一時間以上やってやっと止まってくれた時は本当に嬉しかったです。

イエス様の弟子たちも出かけていくときは不安もあったと思います。

最初の車が止まってくれなくて、とうとうあきらめて冒険旅行を辞めて寮に帰った組もありました。

私たちは運よく親切な運転手さんにとめていただいて、高松から愛媛県まで行って、乗り継ぎながらフェリーに乗って(もちろんただで)結局、津和野、萩、まで行ってヒッチハイクと無銭旅行で3泊4日で高松まで帰ってきました。その間初めての事でドキドキ。失敗や恥ずかしい事もありました。

二人で行くと言うのは良かったと思います。イエス様も弟子たちを二人で組ませました。たぶん一人だったか・・・いやになったり、勇気が出なかったり…恥ずかしかったり・・・でダメだったと絶対に思います。二人で出かけると言うのは絶対に意味があります。

そして弟子たちは汚れた霊を追い出すことができる力をもっての旅行です。なんか困った時の水戸黄門の印籠みたいなものをいただいているのです。

一人一人どんな旅だったんでしょう。

それはみんなドラマがあったと思います。

そんな弟子たちの報告があったのです。

それが今日の聖書日課です。

6:30 さて、使徒たちは、イエスのもとに集まって来て、自分たちのしたこと、教えたことを残らずイエスに報告した。

先ほどの私達無銭旅行組の冒険話・・・みんなそれぞれ話があって・・・それは、それは話が尽きませんで、寮の中で明け方まで話したことを思い出します。

弟子たちもみんな報告したいことがあったはずです。しかもそれは弟子たちにとって心ふるえる体験でした。

いろんな武勇伝みたいな話もあったでしょう。

もうイエス様にせきを切ったように必死で報告している様子が想像できます。

弟子たちにとってイエス様のお手伝いができた事。それはただの遊びのような旅行ではありません。

人々に天の御国が近づいたと宣言するのです。

マタ

10:6 イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。

10:7 行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。

10:8 病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

その旅は

マタ

10:16 いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。

10:17 人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。

そんな厳しい事もあるのです。そしてあったでしょう。

その弟子たちの報告を聞きながら

イエス様は言います。

6:31 そこでイエスは彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい」と言われた。人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。

6:32 そこで彼らは、舟に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った。

リトリートという言葉がありますが

数日間住み慣れた土地を離れて、仕事や人間関係で疲れた心や体を癒す過ごし方の事。観光が目的の旅行とは違い、日常を忘れてリフレッシュすることを目的とする。

宣教師さんなんかが良く軽井沢にいってリトリートをされていますが・・・イエス様の言われた事もこんなすすめかと思います。

弟子たちに、「お疲れさん!!まあゆっくりして!!ちょっと静かなところで休んでください」という言葉です。

弟子たちは刺激的な激務 任務を終えて、イエス様に話をして・・・・そしてゆっくりしに行きました。

6:32 そこで彼らは、舟に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った。

こんな時間を持つことは大事です。

ところが、現実はそういかなかった・・・・・。なんと人々が追ってきたのです。

6:33 ところが、多くの人々が、彼らの出て行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ徒歩で駆けつけ、彼らよりも先に着いてしまった。

ちょっとリトリートをしようとしている弟子たちの前に人々が集まってきたのです。

みなさんだったらどうでしょう。

勘弁してよ。休ませてよ。ちょっといややなあ・・・会いたくないなあと思わないでしょうか?

でもよく読んでみてください。状況を想像してください。人々はイエス様や弟子たちに合いたい一心で、方々の町から徒歩で駆け付け・・・・・・・・

彼らより先に着いてしまった。どれほどイエス様に会いたいか・・・・必死さが伝わります。

6:34 イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。

疲れているのに・・・弟子たちも疲れているのに・・イエス様はそれで群衆を見捨てる、無視することはなかったんです。

群衆が、羊飼いがいない羊 こんなつらい事はない。

不安です。行く道も見えない・・・

イエス様は皆に語られるのです。

それからマルコ6:35~52 は群衆に5つのパンと二匹の魚で5000人を養った奇跡の話があります。

5000人の人が満腹したという驚くべき祝福

人々はますますイエス様を崇めます。

そして弟子たちも人々から、イエス様に従っている素晴らしい弟子たちとある意味人気絶頂でしょう。

先日大谷翔平の人気について話しましたが、今や大谷翔平君だけでなく通訳の水原一平という人も人気者です。

私も、今まで大谷しか知らなかったけれどエンジェルスのメンバーも少しずつ顔と名前が一致する人が出てきました。結構ネットニュースを見ています。

12弟子もそうではないかと思います。イエス様があがめられ、弟子たちも人々から注目の的だった。

弟子たちは誇らしくもあり嬉しかったような気がします。

そんな弟子たちにイエス様は5000人の給食をした群衆から離れさせるのです。

マル

6:45 それからすぐに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、先に向こう岸のベツサイダに行かせ、ご自分は、その間に群衆を解散させておられた。

そして弟子たちは船に乗り、また、向こう岸に生かされるのです。

忙しくないですか?

リトリートに静かなところで休んで・・・と送り出されたのに

それどころか群衆が集まって、バタバタです。あわただしい日々です。

でも考えればイエス様はもっと忙しい・・・・。

その航海(船の中で) 湖の上を歩くイエス様に会います。

もう毎日が驚きの連続です。

この間の動きは今日の聖書日課では省略されています。

やっと向こう岸についた時が、また今日の聖書日課です。

6:53 彼らは湖を渡って、ゲネサレの地に着き、舟をつないだ。

ゲネサレの地に着き船をつないだ。やっと着いた!!

船をつないでゆっくりしようかと思う間もなくです。

6:54 そして、彼らが舟から上がると、人々はすぐにイエスだと気がついて、

6:55 そのあたりをくまなく走り回り、イエスがおられると聞いた場所へ、病人を床に載せて運んで来た。

6:56 イエスが入って行かれると、村でも町でも部落でも、人々は病人たちを広場に寝かせ、そして、せめて、イエスの着物の端にでもさわらせてくださるようにと願った。そして、さわった人々はみな、いやされた。

人々がイエス様を求めてこられる。

イエス様はどんなに疲れていても

人々を羊飼いのいない羊のように憐れみ、優しく接し、癒されるのです。

弟子たちもそのお手伝いです。

まさに

マタ

8:20 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」

のみ言葉の通りです。

枕するところもない・・ゆっくり休む事も出来ないという事です。

それはイエス様だけでなく、弟子たちもなのです。

考えれば、大変な事です。

彼らの行くところ人が集まってくる・・・

群衆はあたりをくまなく走り回り・・・・「イエス様が来たぞ!!!」と伝えるのです

そしたらなんと人々はイエス様がおられる場所に

病人を床に載せて運んでくるのです。

6:55 そのあたりをくまなく走り回り、イエスがおられると聞いた場所へ、病人を床

に載せて運んで来た。

中風の人を4人の友人が床に載せたまま運んできて、屋根まで壊してイエス様の前に下ろした・・そんな事が起こっているのです。

そしてイエス様が通るところ 道には人がいっぱい

広場に行けば病人たちが寝かされています・・・・その病人たちがそこを通られるイエス様の着物の端でも触らせてあげたいと願うのです。そして触った人は皆癒された。そんな事が起こるのです。

6:56 イエスが入って行かれると、村でも町でも部落でも、人々は病人たちを広場に寝かせ、そして、せめて、イエスの着物の端にでもさわらせてくださるようにと願った。そして、さわった人々はみな、いやされた。

このイエス様の横にはいつも弟子たちがいたはずです。弟子たちがイエス様のお手伝いをしていたのです。

今日はイエス様と弟子たちを見ました。

弟子たちはいつもイエス様と一緒・・・今日はその事に思いをはせました。

とりわけ弟子たちはイエス様のために頑張っていたんだなあ・・・と思いました。

今までそんな気持ちで弟子たちの事を思いませんでした。

イエス様の奇跡の前にびっくりしているだけだし

嵐を静めるイエス様に信仰のないものよと言われたり

ペテロなんかは失敗ばかり

イエス様の十字架の前では、みんな逃げてしまうし

ユダヤ人たちを恐れて隠れるし・・・・

イエス様がいなかったら何にもできない・・・

イエス様という素晴らしい先生に、ただついて行っているだけのコバンザメ

金魚のふん(ちなみに金魚のふんはなかなか切れずに金魚に繋がっていることから来ます)みたいな感じでさえ感じていました。

弟子たちが立派になったのはイエス様が十字架につき、死に、葬られ、三日目によみがえり、天に昇り、聖霊様が与えられてからだと考えていました。

確かに聖霊が与えられてからの弟子たちはまさに神の力によって守られ、素晴らしい働きをしたのですが・・・・・

それだけではない!!!

確かに大きな働きはしていない・・・まさに失敗だらけかもしれませんが

弟子たちは弟子たちなりにイエス様と共に歩み・・・

枕するところもなく、寝食を共にし・・・

イエス様のお手伝いをしていたのです。

イエス様から託された使命を喜んで、一生懸命にしていたのです。

イエス様という偉大な神の子と、同時に比較すれば、もう信仰の薄いものでしょう。頓珍漢なものでしょう。

そして三年の間、イエス様の弟子として過ごしていながら・・・ペテロはイエス様なんか知らないと三度も否定します。弟子たちはみんなイエス様から逃げてしまいました。

でもそんな弟子たちにイエス様はご自分の使命を託した。残された者に福音を伝えることを、弟子たちを信じて、委ねて託されたのです。

それは今の私達にも同じ思いなのであると信じるのです。

マタ

28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、

28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

なによりも、私たちに、弟子たちに語られたと同じようにおっしゃってくださるのです。

見よ、私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいます。

世の終わりとは、私たちのこの世の死の事ではありません。

世の終わりはもっと先です。

私達が生きていても、たとえ死んでも 見よ、わたしは、世の終わりまで、いつもあなた方と共にいます。と約束してくださっているのです。

今日は弟子たちの日常。それはイエス様と共にあった事を見ました。弟子たちはイエス様によって変わったのです。

私たちはこの世に生きています。イエス様と一緒に旅をしているわけではありません。

しかし、聖書を通して(きよいふみを通して)イエス様が見えます。私体は、そのイエス様の弟子として、足りないものです。失敗だらけのものです。それでも弟子たちがイエス様と一緒に日々を送りました。私たちも聖書を通して、祈りを通して、賛美を通して

私たちと共にいると約束してくださっているイエス様を見つめながら歩ませてい

ただきましょう。

あなたもイエス様から召し出された弟子なのです。

祈り

inserted by FC2 system