2021年2月21日 堺育麦キリスト教会の礼拝です。
お時間の都合のつく方は2月21日(日)10:30~ 心合わせて礼拝いたしましょう。 礼拝動画はこちらから https://youtu.be/LKMYSCM_0ko
説教の文字原稿は以下からです。
説教題「荒野の誘惑」
聖書箇所マルコ1:9~15
マル
1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
1:10 そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。
1:11 そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」
1:12 そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。
1:13 イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。
1:14 ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。
1:15 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
おはようございます。
本日から教会歴は四旬節に入ります。
四旬節とは、イエス様が十字架にかかられる前の日曜日を除く40日間です。、主の受難の時を覚える期間。
四旬節はなによりも、主イエスキリストの受難と十字架を覚え、私たちの悔い改めと感謝の時です。
四旬節の日曜日が6回あります。今日が第一主日 第六主日は枝の主日礼拝とも言い、イエス様が受難のためエルサレムに入城する日曜日です。
今年は3月28日です。
そして受難週が始まり、キリストの十字架と死があり、復活の日曜日(イースター)が今年は4月4日になります。
コロナの緊急事態宣言が昨年のイースターの時に発出され・・・髙橋愛美さんの
洗礼式が予定されていたのに延期になった事を思い出します。
あれからもう一年が経ち。またイースターの時期がやってきました。
一年の速さを思います。
今年の四旬節は、まだコロナの緊急事態宣言中です。皆さんと集まることが出来ません。
ただ、なんでかよくわかりませんが、感染者数も減ってきて、待望のワクチンもできてきましたので・・・教会の礼拝はもうすぐ再開できるかなと考えています。
ただ油断はできない・・・。厄介な時代であります。
一応3月7日までの緊急事態宣言中 自粛とは言っても割と皆さん動いているように感じます。
ただ教会の働きはある意味、公けな働きなので自重です。
教会のその他の祈祷会やおしゃべりカフェなど自粛中
私たちの信仰が問われているような時期だと思います。
そんな中でも毎週の礼拝を皆さんが工夫してくださり、それぞれの場所でできていることを感謝します。
私は、今、父の介護にかなり専念できていることをありがたく思います。外に出かける集会もないので・・・・こんな時間は珍しいかと思います。
で、個人的に今の私のブームは4月30日に受審する剣道七段審査の準備です。信仰とは関係ないですが・・・・私はこれも神様から与えられた恵みだと感じています。
昨年後半から、家内の召天、父の介護他、いろんな事で運動不足、稽古不足もありましたので体力も弱り・・・受審するのはどうしようか・・・自信もないし・・・という事でやめようかと思いました。
ただ、私は、前の教会を離れて、堺育麦キリスト教会に来るようになって剣道を28年ぶりに再開しました。
教会を離れて誰も友達もいなくなった中で、剣道は私に力と交わりをくれました。その時は2段で、七段なんて高段者になることは夢のまた夢でした。どんなに稽古をしていっても昇段には年数がかかります、もし七段を受審できるようになるとしたら70歳くらいになります。70歳で合格している人なんて全国でもほんの少
しです。だからそこまではいかないだろうと考えていました。それが何やかやと続けているうちに、ついに七段の受審資格まで来ました。
受審できるだけでも考えられないすごい事です。
ですから、この恵みに感謝して、みこころなら、とにかく体の続く限り受け続けてみようと思います。
で、とりあえずはウォーキングから体力をつけて行こうと毎日2万歩で頑張っています。ただ歩くだけはもったいないので、
聴くドラマ聖書を聴きながら歩いています。ちょっと牧師らしくです。
3月からは柔軟やストレッチも入れて行こうと考えています。いまさら強くもなれないのでとにかく姿勢を良くして、気を造っていく稽古です。お祈りいただければ幸いです。
さて本日の聖書日課です。
イエス様の宣教を開始したころの事です。マルコ福音書は本当に簡潔に書かれています。
1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
1:10 そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。
1:11 そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」
1:12 そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。
1:13 イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。
1:14 ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。
1:15 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
本日はイエス様の荒野での誘惑について少し詳しく見ていきたいと考えました。マルコでは2節だけの記述です
1:12 そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。
1:13 イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。
これを今日は、ルカ福音書から見てみましょう。
ルカ
4:1 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、
4:2 四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。
4:3 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」
4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」
4:5 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、
4:6 こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
4:7 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
4:8 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」
4:9 また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の頂に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから飛び降りなさい。
4:10 『神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる』とも、
4:11 『あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らの手で、あなたをささえさせる』とも書いてあるからです。」
4:12 するとイエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」
4:13 誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。
「荒野の誘惑」と言われます。
イエス様が洗礼を受けてすぐに悪魔の誘惑を受けられた。神様の働きを始める前にどうしても通らなければならなかった道なのです。
ここでは御霊に導かれて・・・とあります。
4:1 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、
4:2 四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。
40日間、何も食べず・・・空腹を覚えられた。
サラっと書いていますがとても人間では耐えられないでしょう。
まあ二三日でも断食した事があるかたはわかるでしょう。
お腹が空くという事は本当につらい・・・・戦争を体験された方なんかは・・ひもじさの苦しさを知っていると思います。現代は飽食の時代・・・空腹を覚える事なんかは少ないかと思います。ただ糖尿病の糖質制限なんかで食事を減らし、空腹
の中で苦しんだことはありますので・・・・聖書にある空腹を覚えられた・・・というのは少し理解できます。でも40日間というのは想像を絶します。
その時悪魔が来るんです。
誘惑しに来るんです。
4:3 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」
この誘惑は、巧みです。あなたが神の子なら・・・イエス様、あなたは神の子ではないですか・・・お腹を空かして苦しむより、あなたは石をパンに変える能力なんてあるじゃあないですか。そうしたらいいんじゃないですか。と誘惑します。
この世の汚職もそんなところです。あなたには権力があるじゃあないですか?その力をちょっと使ってください。と誘惑されるのです。許可を与える役所なんかもそんな誘惑があります。私も今度の入札の金額をちょっと教えてください。迷惑かけませんから・・・お礼をしますからという誘惑があった事があります。
それは断りましたけれど・・・世の誘惑は多いと思います。
またもともとお腹が空いてパンが欲しいと言う人にとって・・・お金に困っている人にとってお金を差し上げますなんてことは・・・心がゆすぶられます。
創世記でエソウと言う人はお腹が空いていて。弟のヤコブが料理していたレンズマメの煮物が食べたくて・・・長子の権利を簡単に渡していっぱいの煮物と交換してしまいました。それほど空腹は誘惑です。
そして悪魔のこの言葉は、巧妙な悪意があります。すなわちイエス様あなたは力があります。その力を自分のために使ってください。それができるんですから・・・という誘惑です。
それに対してイエス様は。
4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」
と聖書の言葉で対抗しました。これは申命記の8:3の言葉です。
申
8:3 それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は【主】の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。
サタンよ。あなたの誘惑に従って、自分の力を自分のために使って、たとえパンを食べたとしてもそれは空しい。神様は私たちにいのちのパンを与えてくださる。そのパンの方が大切なんだ。あなたの誘惑には乗らないと言いました。
マザーテレサの有名な言葉に
この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいの
です。
確かにパンは大切ですが・・・パン以上に大切なものがあるのです。
この誘惑に失敗したサタンはイエス様に次の誘惑を仕掛けます。
それはイエス様にこの世の権威、権力、富・・・そんな素晴らしいものを与えましょうと言うのです。その条件はただ一つ、あなたが私を拝めばいいですと言われるのです。
4:5 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、
4:6 こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
4:7 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
世界の国々を見せて・・・一切の権力と栄光をあなたに差し上げます。なんて言われたらどうでしょう?
まあこんなことは想像もできませんが、もっと身近なところであなたに権力と栄光をあげましょうと言われたらどうでしょうか?
これは話が大きすぎて想像もつきませんが・・・逆から考えて、あなたがサタンを礼拝する。サタンに従うなら、あなたを守り祝福しよう!と誘惑されることはあるのではないでしょうか?
あなたが神様を無視して、私に従えばあなたを守り祝福するよとの誘惑です。
それに対してイエス様は、またもみ言葉で対抗されました。
4:8 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」
これもこの世に生きている私たちには難しい事ではないでしょうか?。
江戸時代にキリシタン禁制のお達しが出て、キリストを神と告白する者。キリシタンは罰せられました。信仰を捨てれば守ってやろう、祝福がある。との誘惑です。
踏み絵などというひどいものが考案されました。キリストの像を刻んだ銅板を踏ますんです。踏まなかったものはキリシタンとして処罰する・・・
ローマ時代にはローマ皇帝を神として礼拝せよという時代もありました。
日本でも戦前、天皇を神として礼拝せよと言う時代がありました。
4:8 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」
イエス様の言われた言葉を守ろうとするとものすごい困難があります。
しかもサタンを礼拝すれば、思いのままの権力と栄光を約束されている・・・
私たちなら負けそうです。
この世は、神様よりも他のものを神様にして私たちにそれを拝めと勧めてくるのです。
イエス様はそれにも勝利してくださったのです。
聖書のみ言葉をもって勝利されました。
次にサタンはイエス様を誘惑されます。
それは、イエス様は聖書の言葉を用いてサタンに対抗してくる。
それはぐうの音も出ない力がある。それならば聖書の言葉を使って誘惑してやろうというものです。
これは私たちにもよくあることです。聖書の言葉で責められると私たちは弱いです。
牧師は気をつけなければいけない事だと、自分を戒めていますが聖書の言葉で人を裁いてしまう事があるからです。もっと悪く言えば聖書の言葉を使って人を自分の都合の良いように誘導しようと言う事もあるからです。
聖書の言葉は前後関係をしっかりつかんで、正しく使わないといけません。
サタンはイエス様に聖書の言葉を使って誘惑してくるのです。
4:9 また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の頂に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから飛び降りなさい。
4:10 『神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる』とも、
4:11 『あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らの手で、あなたをささえさせる』とも書いてあるからです。」
イエス様に高いところから飛び降りてごらんなさい。
あなたの信じている聖書はあなたを守ると書いてあるから大丈夫です。
こんなことを言われるとどうでしょう?
これはサタンも考えたやり方です。み言葉で対抗するイエス様にみ言葉を使って誘惑するのです。
それに対してイエス様は、
4:12 するとイエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」
別のみ言葉で、サタンの誘惑に対抗したのです。
サタン(悪魔)はいろいろやってみたがことごとく失敗してイエス様から離れるのです。
4:13 誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。
ここを見ていると、悪魔はとりあえずイエス様から離れたという事です。
これで終わりでもあきらめたのでもなく、実は悪魔の攻撃はずっと続くのです。
この荒野の誘惑という、イエス様がバプテスマを受けて、さあこれから神様の福音宣教の働きを始めようとする、その最初の試練を通り抜けられたのです。
そして本日の聖書日課マルコの福音書に戻りますと
1:12 そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。
1:13 イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。
1:14 ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。
1:15 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
イエス様の神の国への招きの働きが始まるのです。
そのクライマックスはイエス・キリストの十字架 受難と復活です。
今日から始まる四旬節。それは私たちの罪の赦しのために私たちの身代わりとなって死んでくださったイエス様の十字架をとりわけ覚える時です。
サタンはイエス様の十字架の救いのわざがなされないように妨害したかったでしょう。それゆえに本日の荒野の誘惑もあったのです。その誘惑にイエス様が負けていたら・・・・私たちの救いもないのです。
本日の箇所をふりかえってまとめてみます。
これは私たちにもイエス様の模範を見習っていくという事です教えられるのです。
3つの誘惑がありました。
① 自分の能力を自分のためにのみ使う誘惑
40日間の断食はすごい事です。その後の空腹感もたまらないものでしょう。欲しくてほしくて仕方がない。本能に訴えかけてくるもの。
そこに石をパンになれ!と命じれば簡単に問題は解決するではないですか?あなたにはその力があるんです。それをあなた自身のために使いなさい。この世にパンほど大切なものはありません。
イエス様はこの時、人はパンのみにて生きるのではない。パンよりも大切なものがある。私の働きはパンを与える働きではなく、もっと大切な人の命。への働きである。言い換えればパンの働きは私の働きではない。とも言っているのです。使徒の働きの時、初期の教会で
使
6:1 そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人
たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
6:2 そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。
6:3 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
6:4 そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
確かにパン、食べるものは大切です。しかしそれが一番ではない。祈りとみ言葉の奉仕が大切であると言っています。
ですから、あなたの優先順位をどこに置くか?
パンに置くか?主の言葉に置くか?イエス様は神様のことばに生きる道を選びました。
マタ
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
② あなたの主人を神様ではなくサタンにしなさいとの誘惑
そうすればサタンの支配するすべてを与えようとの誘惑です。あなたが私を拝めば・・・神様なんか捨ててしまえば・・・そんな誘惑が現実世界でもいろんな形であります。私たちはそれに負けばかりのようなものです。
私の主人をサタンにしてしまうような愚かなものです。しかし、イエス様はものすごい権威と栄光を約束されていたのに・・・サタンを拝まず、神様に仕えたのです。
イエス様の十字架だって、サタンに従えば・・・いつでも十字架から降りることもできたし、十字架にかからず、この世の賞賛の中で生きることもできたのです。しかし、イエス様は神様に従われたのです。
③ み言葉を用いての攻撃にもみ言葉で対抗する。
今までの二つの誘惑を完全に退けたのは、み言葉でした。
4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」
4:8 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」
サタンの誘惑に勝利できるのは、み言葉であるという事を覚えます。ですから私
たちは暗唱聖句を含め、いろんな、み言葉を蓄えたいと思います。
しかも、一節だけのみ言葉でなく、前後関係を含めて、そのみ言葉の意味をしっかりとつかんでいなければいけません。
み言葉を用いての誘惑にも対抗できるように聖書を学んでいくことも大切なのです。
聖書の拾い読みではなく、聖書の真髄をつかみたいものです。
イエス様は荒野の誘惑を勝利してくださいました。
今日の誘惑なんか、自分だったらどうだろうかと考えますと、全く自信なしです。サタンにやられ放題だと思います。
しかし、主イエス様と繋がっているならば、私たちに起こる荒野の誘惑にも、主にすがる私たちにはイエス様が導いてくださるのです。
聖歌の498の歌いつつ歩まんにあるごとく私たちは弱い者です。
しかし、主イエス様と共に歩むときに私たちの旅路は守られるのです。
荒野の誘惑に完全に勝利されたイエス様が共に歩んでくださるのです。
祈り