2021.12.12

聖書箇所 ルカ3:7~18

聖書題 悔い改めに通ずる道をまっすぐにする人

分解 7~9 パリサイ人サドカイ人に対して

10~11 群衆に対して

12~13 取税人に対して

14 兵士に対して

15~18 ヨハネのイエス様に対する思うこと

序論

私は学校を卒業して建設会社に就職しました。豊島先生と同じような土木の会社でそこそこ大きな会社で職種は現場監督でした。土木といってもいろいろな工事があります。基本土木工事というのは公共事業に当たります。土木工事は道路工事を含めて地面より下の部分になります。その土木工事の種類はといいますと橋、ダム、道路、水道、川や海の護岸工事その他いっぱいあります。

ちなみに建物は建築の仕事です。おそらく子供たちに将来の夢は建築士です、という人はいるかもしれませんが土木の施工管理士や設計士になりたいという人はいません。

私がその会社に入って配属されたのは土工事です。

簡単にいうと土を動かして平らな面を作ります。山を削って沢にその土を持ってきます。そして平らなところを作りあるところは工場の宅地にしたりあるところは道路にしたりします。例えば海抜100メートルのところに道路を作りたいと仮定します。

100メートルより高いところの山の土をもってきて100メートルよりひくい沢に持ってきます。持ってくるにはダンプや土を運ぶ重機で持ってきます。

そして何か月もしくは何年という月日をかけて道路や宅地を作っていきます。

そして出来上がった道路や宅地を見渡すときれいに曲がったカーブの道路や一定の勾配でできている宅地を見ると感動します。しかし世の中の人はというか土木関係者しか見ないのであります。

カーブがきれかろうがブロックがきれいに積まれていようが世の中の人には関心がありません。そしてこの聖書の箇所は今まで凸凹だった道をイエス様が来られる前に凸凹な山を平にまっすぐにするために神様より遣わされた人の話です。

パリサイ人やサドカイ人に対して

ルカ3:2を見ていただくと「アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神の言葉が、ザカリヤの子ヨハネに下った。」とあります。神の言葉が下ったというのはヨハネは預言者として神様から選ばれました。

そしてイエスキリストのこれからなされる活動の準備をすることが彼の任務でした。

ルカ3:4~6までで「そのころ預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとうりである。

「荒野で叫ぶ者の声がする。「主の道を用意し主の通られる道をまっすぐにせよ。すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ曲がったところはまっすぐになりでこぼこ道は平らになる。こうしてあらゆる人が神の救いを見るようになる。」」とあります。

道をまっすぐにするとか平らにするとか何を言っているのかわかりません。

では何をというと人の心のことを言っています。

ヨハネが使徒ヨハネと区別するためかどうかは知りませんが、バプテスマのヨハネという紹介のされ方をしています。罪が赦されるためには悔い改めなければいけません。

人の心をまっすぐにまた平らにするまた言い換えればきれいにする、ことは悔い改めをするということです。自分が悪いと見つめなおして今後の行動に反映されるということです。

そのころのユダヤ人は異邦人のこと(ユダヤ人以外の人)に対して神様から遠く離れたた人、つまり汚れた人でユダヤ人からすれば神の選民であるユダヤ人より低い身分の人という今でいう人種差別的な目で見ていました。

ですからそのように考えているユダヤ人の高ぶりを低くされ低いものと考えられてきた異邦人は高められて平らにされるにはだれでも悔い改めが必要でした。

そして悔い改めた人がしるしとしてバプテスマを授けるということでした。ある本によるとイエス様が誕生される西暦に移る際の時が人類の歴史の中で一番静かな時といわれています。すべて神様の計画によるものです。

ルカ3:7~9を読みます。「それでヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出てきた群衆に言った。「まむしのすえたち。誰が必ず来るみ怒りをのがれるように教えたのか。それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。「われわれの先祖はアブラハムだ」などと、こころの中でいい始めてはいけません。よく言っておくが神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがお出来になるのです。斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて火に投げ込まれます。

マムシてみたことありますか?マムシのからだにあるモヨウはニシキヘビみたいで強い毒を持っています。私も以前は大自然の中で仕事をしていたので何度もマムシというヘビに遭遇しました。特に秋口のマムシの産卵は体内でします。そしておなかの中で子供になりはじめて母親の口から出てきます。その時に牙についている毒が子供に当たってしまうと子供が死んでしまうために所かまわずに噛みつきます。だから秋口のマムシは気をつけろと言われています。まあマムシをかわいいという人はあまりいないと思います。マムシを見たからといって気持ちのいいものではありません。だからこのヨハネの言葉はもちろんのこと良い意味で使われていることはありません。

「我々の先祖はアブラハムだ」という意味は選民のユダヤ人が異邦人に対して見下した言い方でヨハネはこの差別的な言葉に対してユダヤ人は間違っているときずいてほし

いと思っています。神様は異邦人からでもアブラハムの子孫を起こすことができると言っています。9節の木というのはユダヤ人のことです。悔い改めにふさわしい実を結ばない木はみんな斧によって切り倒されて燃える火の中に投げ込まれます。

群衆に対して

群衆には3:11「下着を二枚持っているものは、一つも持たないものに分けなさい。食べ物を持っているものもそうしなさい。」とあります。この時代も今も貧しい人や困っている人や悩んでいる人がいても無関心です。誰かがひどい目にあわされているところをよしんば現場に通りかかってもそれにかかわらないようにしてしまいます。しかし聖霊様はそんな私たちに自分には愛がないと思うように導いてくださいます。少しでも自分に優しさがないことをきづかしてくれます。そしてその時にわかっていてもまた同じことをしてしまいます。そしてまた自分自身に落ち込みます。罪人が生きるのにはこの経験の繰り返しです。しかし神様はそんな私たちに徐々に成長させてくださいます。そして気づかしてくださいます。それから行動するという勇気を与えてくださいます。

取税人に対して

3:13「決められた以上には何も取り立ててはいけません。」人々がわからないからといってローマ帝国の決められた税率を法外的に無視して民衆から多く取り立てて人をより貧しくして自分だけ私腹を肥えさすような人がこの職種にはたくさんいました。

だから取税人は同じユダヤ人でもすごく嫌われていました。聖書に出てくるザアカイやマタイも取税人という職業でした。この二人は悔い改めてイエス様に従いました。特にマタイという人はみんなも知ってのとうりに福音書を執筆します。

兵士に対して

3:14「だれからも力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」とヨハネは言いました。このころのローマ帝国の力は最強でさっきも言いましたがこのころは一番静かな穏やかな時代といわれます。その理由はローマの軍隊はどこで内乱が起こってもすぐに軍隊が駆け付け内乱を鎮圧しました。すべての道はローマに続くと言われる言い伝えがありますがローマの続く道を軍隊が使用できるように整備して内乱が起こるとすぐにその道を通って現場に駆け付けました。そんな強い軍隊の兵士たちは植民地での態度には一部だと思いますがあまり良くない行動をしていました。それに対してヨハネは鋭いところに切れ込んで言いました。バプテスマのヨハネは預言者であり人を恐れずに神の言葉をダイレクトに語る人でした。そんなヨハネのもとにマルコ1:4~5「バプテスマのヨハネが荒野に現れて罪が赦されるための悔い改めのバプテスマを説いた。そこでユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼のところへ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。」この記事からヨハネのもとに何人集まったかは想像もできないくらいの人が集まったと言えます。イエス様は後でリバイバルというのはヨナ以来な

いとおっしゃられました。リバイバルとはたくさんの人が同時に悔い改めて神様を信じることです。このときに軽いリバイバルが起こったと思われます。しかしこの時悔い改めた人々ものちに十字架にかけよと言いイエス様を裏切るのが事実です。

ヨハネのイエス様に対する思うこと

旧約聖書の中で救い主の預言が出てきます。そしてユダ王国が滅亡して以来ユダヤ民族はいるけれどイスラエルという国は地球上から姿を消してしまいます。イエス様が生きておられた時代もまだローマ帝国の植民地でした。その中で民衆の心は3:15「民衆は救い主を待ち望んでおり、みなの心の中で、ヨハネについて、もしかするとこの方がキリストではあるまいか、と考えていたので」16節「ヨハネはみなにこたえていった。「私は水でバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などその方のくつのひもを解く値打ちもありません。その方は、あなた方に聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」

ユダヤ人が救い主を待ち望んでいることに対する「私は救い主でない」というバプテスマのヨハネの答えでした。

そこでヨハネは本当の救い主はこういう人だと言っています。

1. 私よりもさらに力のある方

2. 私などその方のくつのひもを解く値打ちもありません。

主人と奴隷以下のものです。当時の奴隷は主人のくつを世話していましたがそのことについてはユダヤ人の奴隷がしなかったほど卑しい仕事でした。では誰がしたかというと異邦人がしていた仕事だからです。だからその方は自分と比較にならないそれほど偉大だとヨハネは言っています。

3. 聖霊と火でバプテスマをお授けになります。

Ⅰコリント12:13なぜなら私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も奴隷も自由人も、ひとつのからだとなるように一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべてのものが一つの御霊を飲むものとされたからです。

つまり聖霊様によって悔い改め、ヨハネのバプテスマを授かって主イエスキリストを信じたとき、聖霊様は私たちの罪のけがれを火によって焼き尽くしてくださいます。そして罪を清めてくださいます。このころはイエス様がまだ公の公生涯に出ておられなかったのでこの順番が成り立ちます。が今は聖霊様がイエス様を信じることが先のことが多いように思えます。そして悔い改めという図式が成り立ちます。しかし最後は火によって罪を清めてくださるということです。

バプテスマのヨハネはイエス様に通ずる道を今までは凸凹で視界が良くないので彼が人々の心を悔い改めという平らにするという使命を果たすとヘロデによってとらえられてしまいます。イエス様がヨハネに対しておっしゃられることはマタイ11:11「女から生まれたものの中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。」

11:14「あなた方が進んで受け入れるなら、実はこの人こそ、きたるべきエリヤな

のです。イエス様がおっしゃることは真実なことです。だからヨハネは天才だったと思われます。そしてエリヤという人はどんな人だろうかという疑問が残ります。そのエリヤのことを紹介します。

旧約聖書ではというかユダヤ教では1,2を争う人気のある人です。おそらくユダヤ教の盛んな国ではエリヤやモーセという名前を自分の子供にこんな人になってほしいと思って付ける親が多いはずです。そしてイエス様も山の中でもモーセとエリヤであったという記事が出ています。その中の預言者エリヤという人です。

Ⅰ列王記17:1から見ていきましょう。旧約聖書の562ページです。

1節「ギルアデのティシュべの出のティシュべ人エリヤはアハブに言った。」アハブという王様の紹介をします。時代背景を説明します。ダビデ王がイスラエルの国の王様になりそのあとのソロモンが王様になりました。そのあとにイスラエルの国は北イスラエルと南のユダに国が分かれます。その北イスラエルの7代目の王様です。

「私のつかえているイスラエルの神、主は生きておられる。私の言葉によらなければ、ここ2,3年の間は露も雨も降らないであろう。」エリヤは干ばつと飢きんを予言しに王様のところに行きます。おそらくこのことをエリヤはけんか腰に言ったのだと思われます。2、3節「それから、彼に次のような主の言葉があった。ここを去って東に向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。」身を隠せと神様がおっしゃられるということはアハブに追いかけられて命がけでにげているということです。

4節神様はさらに「そして、その川の水を飲まなければならない。私はカラスに、そこであなたを養うように命じた。」私の想像ですけど人に世話をさせると懸賞金がかかっていてエリヤがここにいるということをアハブに知れてしまうのでカラスに世話をさせたことです。6節「いくわかのカラスが、朝になると彼のところにパンと肉を運んでき、また、夕方になるとパンと肉とを運んできた。彼はその川から水を飲んだ。」神様によって養われたことです。7節しかし、しばらくすると、その川が枯れた。その地方に雨が降らなかったからである。1節でエリヤがアハブに言ったことが現実となってきたからです。アハブは国が飢きんで大変になってしまい、エリヤに対して手薄になります。そこで神様はエリヤに対して9節「さあ、シドンのツァレファテに行きそこに住め。見よ。わたしは、そこにひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」

カラスに養ってもらっていたところは名前もない田舎の土地から今度はツァレファテという街の名前があるところにエリヤを導きました。やもめというのは国語辞典で調べますと、夫を亡くした妻や、夫のいない女の人という意味です。

エリヤが町に着くとそのやもめを見つけたのでエリヤは彼女に声を掛けます。10節の後半「水差しにほんの少しの水をもってきて、私に飲ませてください。」11節彼女がとりに行こうとすると、彼は彼女を呼んで言った。「一口のパンも持ってきてください。」

12節「彼女は答えた。あなたの神主は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただカメの中に一握りの粉と、ツボにほんの少しの油があるだけです。ご覧

の通り、2,3本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしています。」13節エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行ってあなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持ってきなさい。それからのちに、あなたとあなたの子供のために作りなさい。」そして彼女に言い返す暇も与えずに14節イスラエルの神は、主が、こう仰せられるからです。「主が地の上に雨を降らせる日までは、そのカメの粉は尽きず、そのツボの油はなくならない。」15節彼女は行ってエリヤの言葉どおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も長い間それを食べた。16節「エリヤを通して言われた主の言葉通りカメの粉は尽きず、ツボの油はなくならなかった。

そしてまた問題が起こります。17節これらのことがあって後、この家の主婦の息子が病気になった。この子の病気は非常に重くなり、ついに息を引き取った。

また彼女はエリヤに怒りの矛先を向けて話します。18節「彼女はエリヤに言った。「神の人よ。あなたは一体私にどうしようとなさるのですか。あなたは私の罪を思い知らせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」20節「彼は主に祈っていった。私の神主よ。私を世話してくれたこのやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。21節「そして彼は3度、その子の上に身を伏せて、主に祈っていった。「私の神、主よ。どうか、この子の命をこのこのうちに返してください。」22節「主はエリヤの願いを聞かれたので、子供の命はその子のうちに帰り、その子は生き返った。」24節その女はエリヤに言った。「いま、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主の言葉が真実であることを知りました。

18章に入ります。1節「それからかなりたって、三年目に次のような主の言葉がエリヤにあった。「アハブに会いに行け。私はこの地に雨を降らせよう。」

アハブには宮殿をつかさどるオバデヤという人がいました。その人はエリヤの信じている神を恐れていました。アハブには妻がいました。イゼベルという王妃でこの人はバアルという神を信じていました。そしてその地位を利用して主の預言者たちを殺した時にオバデヤは百人の預言者を洞穴の中にかくまりました。そしてパンと水で彼らを養いました。そしてエリヤとオバデヤが会います。14節オバデヤはエリヤに言います。

今あなたは「行って、エリヤがここにいる、とあなたの主人(アハブ)に言え」といわれます。彼は(アハブのことです)私を殺すでしょう。アハブとエリヤは因縁があります。そしてイゼベルとは宗教の違いの因縁もあります。アハブからすればエリヤを犯罪者と思っています。その憎しみもオバデヤも知っています。だからオバデヤは極力アハブとエリヤを合わしたくなかったのです。もしオバデヤがエリヤを見つけて殺さなければ自分がアハブに殺されるということです。しかしそういうしがらみもわかったうえでエリヤはオバデヤにこたえます。15節「するとエリヤは言った。「私が仕えている万軍の主は生きておられます。必ず私はきょう彼の前に出ましょう。」アハブと会います。

18節エリヤは言った「私はイスラエルを煩わしません。あなたの父こそそうです。現にあなた方は主の命令を捨てて、あなたはバアルの後についていきます。」

そしてバアルの預言者450人と主の預言者エリヤ一人との対決がはじまります。そして民衆が見ています。どういった対決方法はといいますと23節「彼らは二頭の雄牛を用意せよ。彼らは自分たちで一頭の雄牛を選びそれを切り裂き、たきぎの上に乗せよ。

彼らは火をつけてはならない。私はもう一頭の雄牛を同じようにしてたきぎの上にのせ火をつけないでおく。24節「あなた方は自分たちの神の名を呼べ。私は主の名を呼ぼう。そのとき火をもって答える神、その方が神である。」民はみな答えて「それがよい」と言った。25節~29節まで読む。バアルの神は全然何も答えることをしませんでした。そしてエリヤの番が来ました。36節~40節までを読む。そしてバアルの預言者450人を殺してエリヤの神が本当の神だということを民に知らしめた出来事でした。しかしどうしても収まらない人が一人いました。アハブの妻である、イゼベルです。イゼベルは熱狂的なバアル信者で自分の食卓にバアルの預言者を招いていたほどの人でした。19:1~7を読む。18:27みたいに450人の敵に対してすごい威勢のいいエリヤだと思われがちですが、19章からはふと自分に帰るとイゼベルが攻めてくる恐怖が自分を襲ってくると思うと4節みたいに「主よもう充分です。私の命を取ってください。私は先祖たちに勝っていませんから」といって弱気になる一面を持っています。エリヤという人は偶像礼拝や偶像崇拝に対して自分の命をもって対決していった方でもちろんのこと神様がエリヤを通して奇蹟を行ったことです。

まだエリヤの活躍はありますけど、あとは旧約聖書を読んでもらえたらありがたいです。

ルカ3:18「ヨハネはその他にも多くのことを教えて、民衆に福音を知らせた」天才ヨハネが人々に悔い改めという心をまっすぐに平らにするということがこの後に来られる本当の救い主イエスキリストを受け入れるために来られた先駆者です。

そしてそのあと3:19~20で「さて国主ヘロデはその兄弟の妻ヘロデヤのことについて、また、自分の行った悪事のすべてを、ヨハネに責められたので、ヨハネを牢に閉じ込め、すべての悪事にもう一つこの悪事を加えた。」

ヨハネは権力にこびることはせずに福音である神の言葉を力ずよく語り良くないことをしたヘロデに対して責め立ててることによってとらえられました。本当に主の道をまっすぐに行くエリヤのようです。

こうしてバプテスマのヨハネの仕事が終わりイエス様の公生涯がスタートします。

最後に3:8ヨハネが言っていた悔い改めにふさわしい実を結ぶことはパリサイ人律法学者や群衆、取税人、ローマ兵など具体的に語っています。しかし自分たちも愛がないものや優しくないと思うことが多々あります。そういうところを行動という形であらわしていきたいものです。それこそは御霊のみを常に意識して生活をするほかありません。御霊の実とは「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、忠実、柔和、自制」です。

このことは私たち個人の悔い改めた結果でしか実を結ばないことです。だから聖霊様に祈りましょう。

先週の恵み

先週に引き続いてバプテスマのヨハネのことです。バプテスマのヨハネの主な仕事はイエス様が福音伝道を始める前に人々の心を悔い改めに導いて人の心をまっすぐに平らにするという働きがあります。

パリサイ人律法学者に対して

ユダヤ人は神の選民であることのプライドが高く異邦人に対して見下した言い方でヨハネはこの差別的な言葉に対して間違いにきずいてほしいと思っています。そしてこの切り倒される木というのはユダヤ人のことです。

群衆に対して

私たちの自分勝手な行動に聖霊様は愛がないよと思うように導いてくれます。少しでも自分に優しさがないことを気付かしてくれます。罪人が生きていくにはこの経験の繰り返しです。神様はそんな私たちを徐々に成長さしてくださいます。そして行動するという勇気を与えてくれます。

取税人に対して

ローマ帝国の決められた税率を無視して民衆から多くを取り立てていました。だから取税人はすごく嫌われている職業でした。しかしザアカイやマタイは悔い改めてイエス様に従いました。

兵士に対して

ローマ軍は当時世界最強だと言われていました。そんな強い軍隊の兵士は植民地での態度には一部ですけどあまり良くない行動をしていました。それに対してヨハネは鋭いところに切れ込んで恐れずに指摘をしました。

ヨハネのイエス様に対する思うこと

1. 私よりも力のある方

2. 私などその方のくつのひもを解く値打ちもありません。

主人と奴隷以下です。異邦人の奴隷がしていた仕事です。だからその方は自分とは比較にならないくらい偉大な方だと言っています。

3. 聖霊と火でバプテスマをお授けになります

聖霊様によって悔い改めてヨハネによってバプテスマを授かり主イエスキリストを信じて私たちの罪を火で焼いてくださいます。しかし今はイエス様を信じることが先のような気がしますが個人的には神様だけが知りうることです。

3:8ヨハネが言っている悔い改めにふさわしい実というのは結論から言うと御霊の実を意識することで「愛、喜び、寛容、親切、善意、忠実、柔和、自制」です。このことは私たち個人の悔い改めた結果でしか実を結ばないことです。だから聖霊様に祈りましょう

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